12月19日 午前 高雄市内見学
昨晩は日没後の新幹線で左営につき、暗くなってホテルについたので道中の景色もホテルの付近の様子も見られなかった。印象としては結構空気が汚いと思っただけ。佐営からの高速道路は幅も広くよく整備されているような感じを受けた。
朝食後、昨晩の運転手さんとガイドさんがホテルに迎えに来てくれた。運転手さんは丸顔で背が低く、日に焼けてがっしりとした体格の人で、ガイドさんは細面で痩身で色白のインテリ風(数学の先生といった感じの人。)旅の印象は現地で出会った人によって決まることが多い。彼らはとても感じのいい人たちで親日的だった。台南はマラリア蚊だけが繁茂する荒れた沼沢地だったらしいが日清戦争後日本が領有し、ダムや水路を作り肥沃な土地に変えた地域なので親日家が多い。親日家は大概がアンチ・中共なので私たちが乗った車には李登輝元総統派の女性候補者が率いる党の旗が飾られていた。(残念ながら彼女は翌年の総統選挙で香港出身の現総統の馬英九に敗れてしまったが。)
ホテルの朝食 麺が多い 高雄の様子 日本が開発した工業地域 忠烈祠
写真がないのが残念なのだが(補修中で網で全面がおおわれていたので映しても仕方ない)、最初に案内されたお寺は前面が道教、裏に仏教、さらにもう一つの宗教(忘れた)が同一の敷地内に建てられていて珍しいものだった。道教寺院は彫刻が凄い。
台南はフィリピンにも近く暖かい。先の戦争で蒋介石軍を応援したアメリカ(端的にいえば中国を日本にとられたくなかったのだろう。)が日本に石油を輸出することを禁止したため日本はオランダやフランスが植民地にしていた東南アジア(その当時ほとんどすべてのアジアの国が欧米の植民地にされていた。)に石油をもとめて南進したが台湾は南進のための重要な基地になった。
(日清戦争後に台湾は日本領土となったが、当時はマラリアなどの悪疾のはびこる非衛生な、文化果てる未開の地だったそうで、日本人が統治するようになっても初代、二代目(乃木稀助)総督は統治に失敗し、四代目の総督児玉源太郎(およびその部下、後藤新平)のもとで灌漑、干拓、上下水道、港の整備、教育制度の導入により飛躍的に発展したという。植民地化と言っても欧米のように占拠した地から産物や鉱物や労働力を収奪することしか考えなかったわけではない。学校もたて、義務教育を施し、一般人の能力向上にも勤めたようだ。
それは多分、台湾が永久に日本の一部となると思い、農業、工業の基礎となるインフラを整備し、内地と比べても遜色のない能力を台湾の人に与えようと したからだろう。)
未開のままでも、非衛生な環境にいても、台湾人の名前と台湾語で暮らしていた方がよかったかどうか。非常に近い民族である蒋介石が中華民国軍を率い台湾に敗走してきた後台湾は長期間に渡って戒厳令下におかれ、基本的人権も無視され続けたらしい。当然経済も停滞し、インフラの整備も遅れた。その故もあってか、台湾人は日本による統治時代の功績について南北朝鮮や現中国政権とは異なる公平な見方をしてくれているように思う。
(日清戦争以前に日本の漁師が嵐にあって台湾に漂着し、台湾人に虐殺されたという事件があった。日本は清に対して賠償をもとめたことがあるが、当時の清は台湾は化外の地である(統治が及んでいない未開の地という意味)から責任はとれないと回答したそうだ。現在でも台湾人は中国に納税もしておらず、統治もされていない。
(ガイドさんの車には台南の開発に尽力した、鵜山頭ダムの設計、施工者、八田與一の小型のブロンズ像が飾られていた。)
私は戦前の日本の崇拝者ではなく、日本が欧米列強の真似をして中国や朝鮮を植民地化したことに賛成する気は毛頭ないが、眠れる獅子と恐れられていた中国(当時の清ー満州族が統治していた)は近代化に後れをとり、圧倒的武力をもち、しかも狡猾な欧米列強に侵略されつづけた。
明治維新から第二次大戦の敗北までの期間、日本は、アジア、アフリカの中で唯一近代化に成功し、植民地化をまぬがれた国として、有色人種の国の希望の星となっていたのは確かだ。(日露戦争の勝利が彼らに与えた影響は我々が考えている以上に大きかったようだ。)第二次大戦後次々起こったアジアやアフリカの植民地の独立に日本が与えた影響は少なくないし、かつまた独立勢力を応援した日本人も多かったようだ。(最後には共産主義に傾倒した孫文も多くの日本人に支えられた。)
忠烈祠で
ガイドさんの(確かゴーさん)は若く見えるけれども、金門島事件(中共が台湾の金門島を砲撃した事件)の時、自分の部下を死なせたと悲しそうに話してくれた。台湾には徴兵制度があり、しかも既定の兵役期間が終わっても50歳までは予備役として遇されるので一朝事あるときには兵役を勤めなければならないので、節制をたもち、太りすぎたりしないようにしないといけないという。(日本人に今その気概があるか?)
兵隊の訓練の中にはジャングルの中の極限状況での訓練があり、密林の中で蛇をつかまえて食べる訓練もあるそうだ。国防に対する真剣さは日本の比ではないように思える。
台湾は石灰岩の島
台湾は日本と異なりサンゴなどの海洋生物のカルシウムが堆積してできた島なので地盤が固いとも言っていた。台湾のことを欧米系の人々はformosaの島というみたいだがformosaはイタリア語ではグラマーな女性の意味だけど「美しい」という意味で使っているようだ。
高雄見学の後、私たちはベンツにのって台南へつれていってもらった。
思い出したこと
寿山で高雄の港や工業地帯を見ているとき、冬の間は台湾に住んでいるという老人にあった。循環器系の病気を患っているので避寒のため寒い期間は看護師つきで高雄に暮らしているとの話。(奥さんは横浜で暮らしているとか。)暖かく、物価が安く、日本語が通じるので結構多くの日本人が住んでいるとか。(ガイドさんの話)台湾の南端に行くとフィリピンも見えるそうで、東洋のハワイとも呼ばれているそう。いちど行ってみたい。でも先の老人は久しぶりに日本人をみて日本語を話したかったみたい。