ミ ドルの星★yayoi★シラクサ留学記

 第2回 アパートまでは遠かったの巻

借りたアパート

洗濯物が干してある左の部屋を借り た。

5月12日AM8:00に家を出、関西空港からアリタリアでMILANOへ、
数時間 後、CATANIAへの便に乗り換える。
いつにな くアリタリア航空は時間通りにCATANIAへ到着。
 
去年、 MILANOからCATANIAへの便が、随分遅れ、
スタッフ に "なんでや?"と聞きに行くと、
"乗務員 が一人まだ来てない"との返事にさすがイタリア!と
感心した のを思い出した。でも、今 年は優秀。

(深夜、 この空港に降り立った日本人はわずか三人。
私と、Signora Forseと彼女のカモカのおっちゃん、別名そくらデす。
彼女の2006年旅行記にはその 折のルンルン気分の私が描かれています。

タクシー でホテルへ到着。
次の SIRACUSAへの移動を考え、バス乗り場に一番近い一つ星。
 
翌朝バス 乗り場のバールで朝食後、さあ出発!
そこへド イツ人とおぼしき青年が走ってきて、"待ってぇぇぇ〜!!"
ドライ バーはバスを止めたが、青年はチケットを持っていない、
ドライ バーが、そこでチケットを買ってくるように言うと、
彼は、切 符売り場の長い列に並ぶ。
そして 戻って来るまで、約15分、誰も文句を言わない。
せっかち な私はイライラしながら・・・
  ここ はSicilia  ここはSicilia・・・・
Sicilia 時間に自分も合わせようと心に決めました。
 
約一時間 でSIRACUSAに着くのですが、その間ずっと気になる事が
あったの です・・・

それ は・・・・
アパートの鍵の問題。バスをおりた後、山のような荷物をもって
(中 型のスーツケースの上に
大きいボストンバッグを不安定に乗せ、リュックを担いでいる。)どうやってオーナーのホテルに
たどりつ くか・・・

カターニャからシラクサへ向かう高速バスは、シラクサの鉄道駅に寄らず
鉄道駅の周辺((新市街と呼ばれている。新開地ではないが、第二次大戦で破壊され、
味も素っ気もないビルが建てられている地域))とORTIGIA島((こちらは爆撃を受けなかった
ので古い街が残っている))を結ぶ橋をわたってすぐ左手のターミナルに着く。

ところが、このターミナルは借りる予定のアパートとオーナーのいるホテルの
中間点にあるのだ。(ターミナルからアパートまでは徒歩15分くらい。ターミナルから
ホテルまではもう少し遠い。)

出発前 か ら、「アパートに着く時間を知らせるので、アパートで待っていて!」と
お願いし ても、オーナーは「鍵はホテルに取りに来て!」の一点張りだった。
大荷物をかかえてターミナル→ホテル→ターミナル→アパート!?
勘弁してよという感じ。

さて SIRACUSAのターミナルに着いてからどうしようと思っていたら、
観光自転 車が目に留まった。
少年が自 転車を漕ぎ、客が後ろに乗るという代物。
15歳位 の少年に、地図を見せ、このホテルまで行って、と言うと10ユーロと
言うでは ないか!5ユーロまで値切り、自転車に乗ったものの、スーツケースと
ボストン バッグをかかえて、もう落ちそうになりながら、ホテルに着いた。
 
一カ月分 の家賃を払い、鍵を受け取ると、CIAO!!で終わり。
"ええ? 誰かついて来てくれへんの?"とぼやき、まぁしゃあないかあ・・Siciliaやもんなあ・・
鍵を手に ヨボヨボと歩いてアパートに到着。
 
真っ青な 海が目の前にあり、感激したけど、アパートはトイレットペーパーすらない。
生活必需 品の購入が第一と、近くの店へ買い物に行き、
水、牛 乳、オリーブオイル、ワイン、洗剤、ジュース、パスタ、トイレットペーパー、
サラミ、 チーズ、サランラップ・・・・と両手でも持ちきれない荷物を下げてアパートへ。
アパート は、海沿いのオープンテラスのあるレストランの並びにあるので、
私の必死 の姿に、びっくりする人やら、手伝ってくれる人やら。

  窓から海が見える!!
窓から見えるこの景色。苦心の甲斐があった。

夕焼け
この夕焼けも私のもの。
 
その後、 お昼ごはんに、隣のレストランへ、オーナーのBURUNOが色々と話をして来た。
"私、月 曜日からLingua Vivaへ通うねん!"と言うと、
"あー、 先生か? 英語の先生?"と言われ、店にいた現地の人も店員も
"あー Lingua Viva の先生?"って。
"違う違 う、この年やけど、生徒や!"
ここか ら、この店の人達と仲良くなるのだけど、これが面倒な事に・・・・


第3回へ続く

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