イスタンブールからチャナッカレへ
イスタンブールには、旅行最後の日々に2連泊して、トプカプ宮殿へ行き、地下鉄、市電に乗り、ボスポラス海峡のクルーズもした。しかし、まだまだ見残した場所が多い。この日見た部分はどちらかというとコンスタンチノーブル(皇帝コンスタンチヌス建国の町)のイメージが強い。彼はイタリア出身ではなかったので、ローマにはあまり愛着がなかったらしい。しかし、帝都にふさわしい飾りを新たに作り出す時間的、財政的余裕はなく、入手可能な手近の美術品を運び込んで都を飾ったといわれている。
ダーダネルス海峡をこえてチャナッカレへ
最初の日にアルベイさんが教えてくれるまで私は黒海とエーゲ海の間にマルマラ海という海があることを知らなかった。このマルマラ海には良質な大理石がとれるマルマラ島がある。(ちなみにマルマラはイタリア語でmarmo、英語ではマーブル、いずれも大理石の意味。)このあたりはロシアへの航路の要衝で、ダーダネル海峡の欧州側ガリポリ半島には私たちがバスごと渡船に乗り込んだゲリボル港がある。この周辺は第一次世界大戦の激戦地で、近代トルコ建国の父といわれるアタチュルクはこの地を死守し、英仏連合軍を撃退した。
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ローマ名物・パンとサーカス
ローマ帝国では治世の方途として、市民にパン(食料)とサーカス(娯楽)が提供された。
これらの柱は、娯楽のための競馬場を飾っていた。最近テレビで知ったことだが、ローマ帝国時代の競馬場は現在の表土のずっと下に
あったらしい。オスマントルコはそれらに盛り土をして現在の都市を作った。
左の写真はオリジナルなレンガ造り。多少みすぼらしい感じがする。
中央の柱は異教の神・蛇の化身。右の柱はエジプトから運んできたオベリスク。
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