アヤ・ソフィア(ビザンチン帝国の残照)







ローマ帝国皇帝コンスタンチヌスはローマ皇帝として
初めてキリスト教を公認。ローマ帝国首都をコンスタン
チノーポリに遷都し、東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌスが
現在の教会を再建した。(それ以前のものは戦乱で消失)
その後興隆したオスマントルコのマホメットU世は、
当時としては最大の大砲を用いビザンチン帝国の鉄壁を打ち破り、ビザンチン帝国を滅ぼした。
(鉄鎖で封鎖された金閣湾に山越えさせた戦艦を投入した
ことでも有名)
この教会はイスラム教のモスクに改造されたが、現在は
博物館になっている。ブルー・モスクと比較すると
外だけではなく、内部も汚い。しかし歴史の変遷を語る壁画
や柱など、貴重な資料で溢れている。
この教会は建設中に三度も天井が崩れ落ちたので不吉な
教会だと思われていた。しかし、偶然入手したカレンダー
でみた、夕映えのなかに浮かび上がるこの教会の写真は
とても美しく、爾来私はトルコへいつか行ってみたいと
思うようになった。
多民族共存のための多神教政策を放棄し(異教神殿の破壊)、法治国家から、一神教の教理を支配の道具に利用したコンスタンチヌス。

これ以降西洋社会は長く、暗い中世社会に突入した。(庇を貸して母屋をとられたというべきか、利用しようとして利用されてしまったというのが真相か。宗教を利用するにはそれなりの能力がいるのに。)

イスラム教の権威を政治に利用したために近代化に失敗したオスマン・トルコも同じ轍をふんだわけだけれど。
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アヤ・ソフィアの変遷
廃墟のような、この元モスクも歴史の証人としての価値が高い
中央:ギリシア神殿をこわして、その柱でキリスト教会を建てた。
右  :金地のキリストのモザイクは漆喰で隠されモスクに
左  :同じくモスクになった後はアラーをたたえる文字板を設置
教会入り口に有るモザイク画
聖母マリアとキリストに、この教会とこの町をささげている図。中世に捏造されたという「コンスタンチヌスの寄進状(帝国の領土はすべて神=教会にコンスタンチヌスがささげたという文書)」を思い出してしまった。
                       
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