イズミール

  

トルコの国土は日本の約二倍あるけれども、農業ができる地方は限られている。東に行くほど高地で寒い。(経度的には国の中心に位置する首都アンカラですら冬は零下20度だという。)鉱物資源が豊富だというが未開発だ。ただ、共和国建国の父、アタチュルクが農業振興に力をいれたおかげで食料自給率は100%で、食料輸出国でもあるという。





  







ベルガマ遺跡の後、トルコ第三の都市、イズミールへ。バスはエーゲ海に沿って南下する。陽光きらめく平原を突っ走る。住宅バブルでは?と思うほどあちこちに高層住宅が建てられている。太陽光発電は見ないが太陽熱温水器をあちこちで見た。強烈な太陽だもの、無駄にする手はないでしょう。(左写真は屋上に取り付けられた温水器群)
日本と比べると住居は広くて家賃も安いが、給与は少ないという話だった。持ち家は少ないそうだ。農地解放が不十分なので小作も多いという。
イズミールはエーゲ海が細長く入り込んだ港の町で海運の中心地として昔から栄えた。
共和国建国以前には多くのギリシア人が住んでいて古代の遺跡が沢山あったらしいがトルコ独立戦争の末期、アタチュルクに追い落とされたギリシア軍が焦土作戦を行ったので遺跡も町もすべて廃墟と化してしまったという。
日本人の奥さんをもつガイド氏は「この町は横浜に似ている」と言うが、山の上までぎっしりと建った家・家・家・・・規模が違うよね。

ホテルに荷物をおいて近郊の漁港まで魚料理を食べに行った。 トルコ料理はなべておいしい。魚料理も。
上記右端の銅像は港近くにあるトルコ解放記念像。よく見えないが馬に乗っているのが共和国建国の父と尊敬されているアタチュルク。(ムスタファ・ケマル。アタチュルクとは国父という意味で国民から送られた彼の姓。建国前のトルコは戸籍制度が確立しておらず、家ごとの姓はなかった。)オスマン・トルコはドイツと組んで第一次世界大戦に参戦し、敗北してアンカラ周辺の狭く、不毛の地に押し込められそうになった。アタチュルクは列強からの過酷な戦時処理に抗して独立戦争を起こし、共和国を建国したがトルコはこの戦で250万の犠牲をだしたという。   
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