カッパドキアへの旅(旅行中もっとも強行軍だった日)

その1、パムッカレからコンヤへ

この日は旅行中でもっとも移動距離が長く、辛い一日だったが、振り返れば一番トルコらしい地域を旅した日でもあった。
         
     @               A                B                 C
バスの窓から
@新しいモスクはアルミ製の屋根が多いみたいだ。
Aトルコではあちこちで巨大な国旗を見た。アタチュルクの巨大な看板(?)も。(アタチュルクという人は本当に偉大な人だとは思うが、お酒と女性関係に難があったらしい。でも彼の死後、彼を侮辱すると罪に問うという法  律が作られたので彼がもっとも嫌っていた神格化がおこったようだ。)
B農作業をする女性をみると、ああ、ここはトルコだなと思う。トルコ女性は大変な働き者で農作業は女性の仕事だそうだ。(夫婦者がトラクターにのって走るのも数度みたが。)
C国家管理の下でケシを栽培している。塩の湖の近くで撮った写真



コンヤ

コンヤはトルコの宗教を語るに外せない場所らしい。トルコ近代化のためにアタチュルクによって廃止された神学校や、トルコ民族が中央アジアの高原に住んでいた時代のシャーマニズムに由来する旋舞、トルコのイスラム教の特徴である寛容の精神はこの地に芽生えたイスラム教の一派の影響だという。


      @               A             B               C

@宗教博物館  政教分離前はイスラム神学校だったという。
A上記の博物館におかれている石像 トルコ民族の出自がアジア系である証拠の一つとされている。現在のトルコ人は長年月の混血の結果顔も体格もアジア系というよりアラブやヨーロッパ系に属しているようにみえるが嬰児のお尻には蒙古班がでる場合が多いそうだ。
Bコンヤの町は近隣のなかで群を抜いて大きい。群雄割拠の時代にはトルコ南央部の中心地でもあった。現在でもトルコの国の中では5指にはいる町で、計画中の高速鉄道もこの町に至る予定だ。
C奥にみえる塔がこの地の核心の塔。いわゆるトルコブルーより緑が勝っているが非常に美しい色だ。

イスラム初めて物語。

ダルビッシュ・・・プロ野球・日本ハムにダルビッシュという投手がいるが、ダルビッシュとは一通りの修行を終え、人々の相談に乗れる段階にいたった修行僧のことだという。

ターバン・・・・・・・イスラム教徒が頭に巻いているターバンは、埋葬用の布なのだそうだ。(彼らはターバンで巻いて土葬される。)つまり死の象徴である。(苦汁に満ちたこの世をのがれ、一刻も早く昇天し、永遠の命を得るのが至福だと信じるならば幸福の象徴かも知れないが。)トルコではオスマントルコのエジプト遠征以降ターバンのかわりにトルコ帽(フェズ)が被られるようになったがトルコ共和国成立後アタチュルクによって、フェズ着用も禁止された。

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パムッカレからカッパドキアに近づけば近づくほど耕作に適した土地が減ってくる。トルコは東に行くほど標高が高く気候も厳しくなる。(ノアの箱舟が漂着したといわれるアララト山などは優に5000mを超えている。)けれど大理石の採石場がいたるところにあって、トルコは鉱物資源に恵まれていることがわかる。(鉱物資源の多くは未開発)