レッジオ・ディ・カラブリア駆け足行

結局私はVilla San Giovanniの公園で携帯メールを打って二時間を過ごした。(自分の携帯をもって行き、ローミング・サービスを受けた。帰国後その料金の高さに目玉が飛び出しそうになった。)駅のホームではドルチェ・ガバーナのサン・グラスをかけショッキング・ピンクの口紅をつけ、香水をぷんぷんさせた図書館の司書さんと知り合いになり、アメリカのジョージア州の名の元になったGiorgiaという国の話を聞いた。彼女は水中翼船の発着所をしらなかったので一緒に乗った列車で別の女学生に尋ねてくれた。

私は女学生の言うとおりレッジオ・ディ・カラブリアの一つ手前の駅で降りたが、これは失敗だった。港は町からかなり離れており、見学にさける時間が少なくなってしまったからだ。
通りで風船を売っているお兄ちゃんや、中国人の若い女性などに中心までの道とか交通手段を尋ねながらお城と大聖堂だけ見る事にした。(中国人にはどこでも出会う。彼らは本当にたくましい。)アジア系をみると大抵のヨーロッパ人が「中国人か?」と尋ねる理由がよくわかる。私は最近「中国人か、日本人か?」と尋ねられた時「どう思うか?」と逆に質問することにしている。

バスの経路が分からないので道を聞きながらお城までたどり着いた。(私はチャランポランな性格だが、ここまで何も調べずに旅したのは初めてだ。)そこで三人の女性に出会った。引退した高校教師とそのお嬢さんとその教師の友人(ルーマニアからきて介護職についているという。)だという。

この三人にも「貴方は中国人か?日本人か?」と尋ねられた。「どう思うか?」と逆に質問したらお嬢さんが少し首をかしげて「日本人だと思う。」と答えたので「ブラーヴァ、ブラーヴァ」と褒めた。私見では中国人と日本人との間には色の好みにかなりの違いがあるように思うのだが・・・

元先生曰く、「貴方のことは少し前から気づいていた。日傘をさしたり、畳んだりしながら歩いていたから。」といった。そう、私はある薬を服薬している関係で可能な限り晴雨兼用の傘を使用しているからイタリアではかなり目立つ存在だ。(それも、自動折りたたみの機能を見せ付けながら用いている。-イタリアにはこれほど便利な傘はないから大抵の人がおやっという顔をする。)元先生は、「カラブリアはいいところだから、貴方の友人でここに住みたい人がいたら私のことを教えてあげて。」と言ったが、余りそういう人はいないのではないだろうか?

彼女達は私を大聖堂に案内してくれ、港近くまで同道してくれた。
大聖堂ではミサが行われていた。堂内は沢山の老若男女であふれかえっていた。子供達は私達を不思議なものを見るような目つきで眺めた。
地区ごとに座席がきまっているのか、異なった色のユニホーム(Tシャツ
)を着て座っていたが、ロック調の賛美歌が流れるたびに上手にいた司祭さんたちが体をゆらす。子供達も一緒に歌いながらゆれる。堂内は熱気でむんむんしていた。

元先生たちはイタリア人の例にもれず、物凄くゆったりと歩くので私は水中翼船の最終便にのれなくなるのではないかと気が気ではなかった。
ほとんど駆け足状態で水中翼船へのり、メッシーナでもバス乗り場と鉄道駅の間を右往左往して列車の中では寄宿先の奥さんにゴンドラが動いているかどうか電話をかけて聞き、結局タオルミナ駅からタクシーで帰宅。
てんやわんやの一日だった。無計画に歩くと時間とお金を浪費する。タオルミナのタクシー料金は不明朗。チップをあげようと思って財布を捜しかけたら後続車に警笛を鳴らされ、(道が超狭い)あわてて大枚をはたいたし。
お城の側でみつけた日本の盆栽
の広告ここでもブームなんだ!
レッジオの城 人影がほとんど
なかった。この町は空襲にあって
いる。広い通りには南洋の木が
沢山植えられていた。
大聖堂の正門で。本当は中の
写真がほしかった。これで10月

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