タオルミナの人々
お店の人
たった2週間の滞在だからそんなに多くの人と話したわけではない。が一般論を言えば、お店の人でも他所から来た従業員は概して愛想が悪い。愛想をよくして売り上げを伸ばそうという気はないようだ。メインストリートのお店の人も偽卵とみぬくや否や冷淡な対応をする。(ご当地の絵画、高級食材、趣味的な品を売る店ほどこの傾向が強いような気がした。)観光地だから仕方ないかも。

4人の絵描きたち
私はタオルミナで四人の絵描きにであった。一人は大聖堂前の広場で水彩の風景画を描き、それをパソコンに取り入れ、色調補正をして、印刷しては売っている人。この人はアルジェリアの出身でタオルミナが気にいって20年前に住みついたという。長い睫毛をもつ、浅黒い肌をした人だった。彼曰く、「学校は簡単なことをわざわざ難しげに教えるから、イタリア語をうまく話したいなら学校など行かず、毎日この広場に来て色々な人と話す方がいいよ。」(一理あるかも)
ある日彼の水彩画のコピーを褒めて買おうとしたら、「キャノンのおかげでいい色に仕上がったから進呈するよ。」という。御手洗さん、ありがとう!町の規模の割りに沢山の画家が絵を売って生活できるのは有名なリゾートだからだろうと思う。

(大聖堂の前の広場にはパステルで似顔絵をかく人もいた。この人はすごい腕を持っていたのでいつもお客が列をなしていた。)

第二のカルチャーショック
メインストリートの画廊の絵だけでなく、カステロ・モロの絵描きの絵も、すばらしく透明感のある美しい色調の絵だった。カステロ・モロで私は、彼我の力量の間に大差を感じて絶望してしまった。(ところが、その旨を伝えたところ告解を受けた神父のように「絶望することはないよ。さぁ僕のところへお出で」と言って両腕を広げて私の方に差し出すではないか。(映画のシーンじゃあるまいし)私は思わず後ずさってしまった。すると彼の方が歩み寄ってきて抱きしめられてしまった。私は彼の腕の中から即時に逃げ出し、バイバイ!と言ってすぐさまバス停目指して歩いて行った。(彼は呆気にとられてきょとんとしていた。)これも一つの異文化体験だった。公衆の面前の頬ずりくなら許容範囲だと思うが、外からは見えにくい岩屋の中だもんね。冗談ではありません。

後で寄宿先の奥さんにその顛末をすると「こちらでは普通の対応だ。」と言う。でも西洋社会は日本よりある意味保守的で、一人歩きする女性は簡単に落ちる女性だという偏見に支配されている社会だ。だから警戒するにしくは無しだと私は思う。(私みたい若い時から一人で旅行し、一人で外食するのに何の抵抗も感じない人間にとってはそういう偏見が付きまとう世界は不自由である。)

好奇心は怪我の元?
夏も過ぎたというのに、タオルミナには観光客が絶えない。州立美術館の前にいつも古代の兵士の扮装で台の上に立ち続ける男がいた。イタリアの観光地にはこの手の芸のない大道芸人がいる。(立ちつづけるだけでも結構大変だろうけど。)この男はたまに芸もするが(人殺しの瞬間などを演じて通行人に記念写真をとらせる。)ただ立っていることが多かった。で、私は寛容なる西洋人たちが余り能のないこの種の芸人にどれだけ同情し、彼がどれだけの報酬を得ているかということに強い興味を抱いてしまった。で、ある日、彼と彼の前においてある募金箱(?)の間を通ってどのくらいのお金が入っているか見た。

と、途端、木製の刀がコンと私の頭上に降りてきた。見上げると既に小刀を収めた彼は知らん顔をして立っていた。げに好奇心は災いの元である。かれはいつも夕暮になると台からおりてその日の収穫を袋におさめてどこかへ立ち去った。
メインストリートにある画廊
非常に綺麗な色調の絵を
売っている。余り感じのよく
ない店主だが。
よくいるタイプの大道芸人
だが、ただ立っているだけ
ではなく、時々絵になる
ようなシーンを演じたりする
。突然襲われた人はびっくり
する。
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