学校の2週目

愛想のいい外人さん
二週目の火曜日か水曜日の事だった。午前の授業の中休みに挨拶をしてくれたマダムが日本人だということに気づいたのは。(会釈だけの間、私は彼女が日本人だと気づかず、愛想のい外人もいるのだなと思っていた。「コンニチワ」だか「おはようございます」だか言われて、気づく始末。)

生徒の大半はいわゆる白人で,しかも中年女性だったので、彼らから挨拶を受けた事はなかった。日本人は日本人同士で固まるとよく言われるけれど、白人達も結構お国同士で固まる。

日本女性は変わった。
彼女は私と違いキャリアを誇る有能な女性なのに、ご主人のご両親もご自分で看取り、ご子息たちも結婚独立させたというスーパーウーマンで、良妻賢母を地で行くような人だが「年に一度は一人で海外旅行をしないではいられないの。」とおっしゃる。これまでもさまざまな国に出かけられたそうだけど、今回は3週間のイタリア留学を決行。

私は今度の旅で、このタイプの旅行者にもう一人出会った。日本女性は変わりましたね。夫婦と言えども完全に趣味が一致する事は少ないだろう。仮に結婚時には一致していたとしてもその後多少のずれが生じることも稀ではないと思う。例えば妻が無類のイタリア好きで夫がそれほどでもない場合、妻の願いを聞き入れて海外へ送り出す夫がどれくらいいるだろうか?そもそも妻自身がそういう希望を口にできただろうか?日本女性は変わったのである。そして男性も。

2週目の生徒達

1週目にはあんなに沢山いた生徒達が2週目にはほとんどいなくなり、(中には文法の時間に辟易し、「私はこんな授業を受けたいと思って入学したのじゃない。」と言って出て行った人もいるし、レベルが合わないと別のクラスに移った人、コースを修了して帰国した人などさまざまだ。)母国でもイタリア語を勉強している、熱心でよくできるAMとMさんとC君と私だけが残った。文法の時間は練習問題中心だから面白いとはいえない。しかし、正確なイタリア語を話したり、書いたりするためには欠かせない授業だとは思う。しかし、そういう目的で学ぶにはタオルミナは余りに魅力的だった。私は浜辺へ降りすぎたし、パーティのある夜は宿題をする暇もなくなる。(私は時々寄宿先の奥さんに宿題を手伝ってもらった。)欧米からの生徒達はバカンスがてらに通学している人が多く、学校企画した近場の遠足の日には学校には来ない人もいた。

最後の授業の後どうしても合同写真が欲しかった私は、事務室にでかけ校長先生を迎えにいって皆と一緒の写真を撮ってもらった。最後まで一緒に勉強した学友達は学友と言うより戦友と言う感じだった。

その後、私は行き損ねた岩の上の元修道院遺跡や、ムーア人の城という意味のカステッロ・モロへ撮影にでかけた。というわけで級友とはメールアドレスを交換したものの同じ釜の飯をくう機会をのがしてしまった。これは今も残念の極み。


  
元修道院の中に残る奇跡の図解    タオルミナではよく結婚式をみかけた。
                        この地での挙式は女性達の憧れなのかも
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