タオルミナ最後の日
初めての欧州人との昼食
タオルミナ最後の日に私は前日行き損ねた、岩山の聖母という名の廃墟となって修道院に出かけたが鍵がかかっていて中には入れなかった。で、ウンベルト通りにとことこ降りてきたら寄宿先のパーティで知り合ったEさんにあった。彼女はスェーデンばあちゃんと下の町でお昼を食べる約束だという。私も同道することになり3人でバスターミナルに行ったらレブロンがいた。彼はマダム達にとても人気があって(彼女らの同級生かも知れない。)3人に迫られて断れなくなった彼も同行することになった。(彼は日曜日ごとにカターニャに映画を見に行くと言っていたから気乗りしない様子だったけど。)

ナクソスの浜辺についたもののEさんとレブロンは日光浴を始め、レブロンは、その無料の浜辺(注:タオルミナには有料の浜辺と無料の浜辺がある。)でも商売をしていた中国人のマッサージも受け始めて動きそうになかった。スェーデンばあちゃんと私はお腹がすいてたまらないので二人を波打ち際に残して出発した。私がババさまに「何故彼は来ないんだろ?」と尋ねたら「お金がないからじゃないか。」とババ様。そうか、伊達に年はとってないねと私は内心感心した。

二人で道沿いの食堂を2、3見たがいわゆるファースト・フード系の店ばかりなので私はババサマとも別れ、一人で岬のホテルへ行く事にした。彼女は名残を惜しんで両頬に頬ずりをしてくれた。よかったなぁ、この日彼女に同行しなかったら、私は彼女のことを口やかましいばあさんだという印象しかもたなかったに違いない。

貧乏人は来るなと?
バス停ではブルガリア人のおじさん(色が黒いのでインド人かと思った。)がバスを待っていて、彼のおかげで私は無事岬のホテルに着くことができた。

ホテルの中の、海岸へ抜ける長い洞窟でジャンフランコに会った。(彼もアウレリオの友人だった。)前回名前を聞いて覚えていたので「やぁ、ジャンフランコ今日は泳ぐつもりで来た。」というと険しい顔をして「お前はここの宿泊客ではないだろ?だったら、浜辺もレストランも50ユーロ払わないと使えないのを知っているか?」と聞く。「え〜、だってバールとダイビング場は無料だろ?」と聞いたらそうだというので、私は構わずバールにすすんでいった。

雨が降り、他には一人も客がいなかったので、バールでは暇を持て余したバリスタと給仕、それに人命救助員がいた。さっきと同じ質問をすると、彼らは早口でまくしたて始めた。「そんなに早口だとわからない。」というと今度は回覧板みたいなものをもってきて「読め」という。「要はバールだけなら立ち入り無料だろ?ほっといてくれ!Lasciate mi in pace!」と叫んだら、彼らはどこかへさっと消え去った。

やれやれ、これでようやくここの海と空が私のものになった。眼前には穏やかで美しい濃紺の海が広がる。私はサンドイッチとチップスを食べながらビールを飲み、心ゆくまで最後のバカンスを楽しんだ。

何と言う自由。些細な事に気を使い、卑小になっている自分が哀れに見えてくる。と同時に、自らの中に強い力が湧き出てくるのを感じた。私は三島由紀夫ではないから自分がこの世に生まれ出た瞬間の記憶はないがきっとその時はこんな風だったのではないか?

いつもふざけている私。
グラン・ブルーの舞台になったホテル
の玄関で。
これはメッシーナの海だが岬の先の
海も大体このような色をしている。
寄宿先の近所の道から
タオルミナ岬を望む。
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