タオルミナ語学学校留学記-1、願えばかなう

2008年の春のことだった。新宿高島屋から駅へと歩いていた私に若い男の人が近づいてきて「貴方これから運勢が好転しますよ。」とにこやかに言ったのは。
私はいわゆるatea(神の存在を信じない人間)だが、うれしいことを言われた時にはそれを信じ、活用する事にしている。(だから私はその人に「アリガトウ」と礼を言って通り過ぎただけだった。どうせ、怪しげなものを売りつけるために近寄ってきたのだとおもったから。)

しかし、彼の予言は的中したらしく、スペイン旅行から帰国して数日後、日伊協会から奨学生に合格したという通知が届いた。夫に言うと「それは、それは。おめでとう。」と喜んでくれ、別居している二人の息子にすぐメールを送る始末。

私がタオルミナのバビロニアというイタリア語学校への留学を希望したのは、第一に海が好きだという事、第二に留学期間が短い事、第三に留学後シチリア東南部を旅行したかったからだ。

留学期間は2週間と限られているし、本年中に行くという条件もついていた。となると秋に行くしかない。夏のシチリアなんて暑くてたまらないだろうし、バカンスシーズンに行けば人が多すぎて疲れに行くようなものだろうから。高級リゾートで有名な地だし、物価が高くて惨めな思いをするかも知れないし。

というわけで、日伊協会の加藤さんに「秋に行きます。」と言ったら、手続きもあるので決まったら早めにしらせてほしいとのこと、私は日伊協会の一学期が終わるころ10月に行くつもりだと告げたのだが、「先ず、航空券を取ってください。話はそれから。」といわれたので、(アリタリアが破産の瀬戸際にいたことも知らず)Tutta Italiaのホームページから航空券を買ったのである。
タオルミナ岬の突端で

2、タオルミナの我家
  航空券を取ってからは自分で何をしたわけではない。大体の希望にあわせて留学先の学校、バビロニアがホームスティ先もカターニャ空港からのタクシーも全部手配してくれた。日伊協会にはホームスティ先を選ぶためのCDがあり自宅に持ち帰ってゆっくり選べるようにコピーもしたがスティ先が余りに沢山あるので面倒くさくなってしまった。で、何の希望も出さないでいたら「お料理が上手で、親日家」という条件で学校の近くのタオルミナで超有名な元バールマンのAurelioさんのお宅を斡旋してくれた。

いい年してホームスティなんて、と思ったけど、ホテルとかアパート暮らしだとイタリア人の生活に触れる事ができないし、どんなお料理を食べているかだってわからないではないか。

私の部屋は左のピンクの建物の二階、Vagnoriとおりに面していた。彼のお嬢さんが使っていた部屋だった。なお三階が食堂、その上にパーティ用の食堂もある。
   
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