クレタ島、サントリニ島
今このページを書いているのは、この旅行からほぼ一年が過ぎようとしている2013年5月です。
わずか一年で私の記憶は実にあいまいになり、たかが一年前の旅程が写真のデータをみないとわかりません。このクレタとサン・トリニのこともどちらが先だったか、ということすら怪しいのですが、間違いなく、強烈に覚えていることはあまりにも個性的なサン・トリニ島のことでした。
クレタ島
クレタ島は島であるにも拘らず、古代ギリシア文明に重要な地であったらしく、ミノタウロスの伝説が残されている.。 クレタは島ではあるが水に恵まれ、温暖で、農耕に適しているため古代から富んだ島で、地中海貿易の要衝でもあったらしい。十字軍以来地中海交易で富を築いたヴェネツィアの要塞も残っている。
「その男ゾルバ」の映画とその原作の舞台もクレタ島になっております。
クレタ島観光はオプションででかけました。下船してから遺跡までは大した距離ではないけどバス便があるかどうかが不明で、ツァーの企画会社に相談すると、ガイド付きでなければ何がなんだかわからないだろうと言われたからです。(クレタは開けた島なので近くへ行くバスはあると思う。)
防波堤の外と中では海の色が違う。 ↑ 島にしては平地が多いせいか随分発展している
ヴェネツィア共和国の要塞
バスでクノッソス宮殿跡へ
(旅行当時ギリシアは破産問題で国が荒れていたが、幸い私たちはデモにもストにも会わず観光を楽しめたが、一年前のツァー客は方々でストやデモに遭遇して大変だったらしい。観光立国なら自分達の首をしめるような行動はとらない方がいいと思うが、社会主義的なお国柄なのに貧富の差が激しいらしいのでしかたないのかも。)
一面のオリーブ畑だったこの地を買い取り遺跡を発見、発掘したのはイギリスの青年だったという。この宮殿にあった壁画とか家具は考古学博物館に収められているので展示されているものはすべて複製だというが、ギリシア人が神様と共に生きていた(伝説のミノタウルスはクレタの王妃と牛の間にできた半獣人だということだ。)ころ既にこのような高い文明をもっていたのは驚くべきことだ。
多層構造の宮殿・迷路のように複雑(ミノタウロスは実在したかも)
頑丈であるだけでなく美しい装飾が施されている。
儀式用の椅子 通称百合の王子(フレスコ) さすが海洋民族だ。 巨大な水がめ(素焼き?)
博物館には行く暇がなかった。それにギリシアの名だたる出土物はアテネの国立考古学博物館に収蔵されているというからそこで見る方が効率的かも。
6個のスクリューでクレタ島がみるみる遠ざかる 舷側からみる深い青 地中海には様々な顔がある
サン・トリニ島
クレタをでてからしばらくの間、私は珍しく船室で休んでいた。するとそくらデスが珍しく興奮して甲板から帰ってきた。彼の話によると、これまでとは全く様相の異なる島が近づいてきたので呼びに来たという。
私はあわてて甲板まで駆け上がった。すると切り立った崖の上に白い雪をかぶせたような島が見えてきた。相変わらずの強風が吹いていたのに、甲板には大勢の船客が上がってきて行く手の島をみつめていた。
爆裂火口の一部と思われる島(これは無人島?) 切り立った崖の上に漆喰で固めた家がへばりついている。
このツァーに出かける前には私はサン・トリニ島のことを知らなかったのだが、海中に没したというアトランティス大陸はこのあたりにあったとプラトンが書いているそうだ。
サン・トリニの島々は火山が噴火し、沈下するとともに吹き飛んだ火口の一部から海水がなだれ込んでできたようで、上空から見るとそれがよくわかるようだ。
島の周囲は切り立った断崖絶壁になっているので大型船は着岸できない。海上で小舟に乗り換えて小さな埠頭につき、バスまたはケーブルカー、またはロバにのって島民が住んでいる島の頂上へ向かう。
最近見たBBC制作の地中海に関する番組によると、エーゲ海や黒海近辺はその昔は平原だったらしい。(黒海は淡水湖だった。)。地中海の水量が増え、当時の山が島となったそうだ。海洋生物の堆積物からできているヨーロッパ大陸はその下に沈み込むアフリカ大陸(一年に1cmの速度)の影響をうける。(地中海の真ん中には火山帯が走り、地震も多発する。)
サントリニの絶景を見るためにはバスを使う必要があった。忙しい旅だから仕方がない。(ロバの背に揺られていくのも面白いと思うけど。)
地図からも見て取れるように、サントリニには飛行場がある。爆裂火口壁の上のまちだけれど絶壁の上にはかなりの平地がある。
だが何と言っても私たちをひきつけるのは、深い群青の海と対峙する、白壁の家々と青い屋根をもつ教会の美しい景観だった。
ペロポネソス半島の旅へ