ロードス島
左は回教寺院 右は騎士団の城壁 城壁の上には等身大の騎士の人形がおかれていた。
私は以前からロードス島に行きたかった。塩野七生さんの「ロードス島攻防記」を読んだためである。東ローマ帝国が滅んだのち地中海に残されたキリスト教徒の抵抗基地がロードス島だった。ここはオスマントルコとローマンカトリック勢力が力の限りをつくして戦った島である。(正確に言えばロードスが最後の牙城ではなく、ロードスで敗れた聖ヨハネの騎士団は次にイタリアの南、現在のマルタ共和国があるマルタ島でオスマン・トルコとの死闘を繰り返す。マルタ騎士団は防御に成功したがその後マルタを追われ、現在、その本部はローマにある。)
塩野さんの「ローマ亡き後の地中海世界」によれば、中世のヨーロッパはカトリック教会の指示のもと平和主義というか、無抵抗主義(汝の敵を愛してしまった)におちいり海岸端はおろか時には内陸部までイスラムの海賊に荒らされ、ローマ法王が誘拐されそうになったこともあるという。そういう時代に唯一武力で抵抗し、イスラムの船とみると容赦なくおそいかかり海賊行為(目には目を、歯には歯を)を行った聖ヨハネの騎士団はイスラム勢力側からはキリストの蛇」といわれ恐れられていた。
ロードス島は要塞化された島で、古代地中海文明からの遺跡もあり、現在も夏のリゾート地として欧米人に人気がある。気候が温暖で緑の多い島だから。
中央の高い建物が騎士団長の宮殿
オプションを取らなかった私たちは下船するや否や騎士団長の宮殿に急いだ。
城壁には無数のツバメの巣 この門から城(要塞)へ入る 騎士たちが歩いた道 騎士団長の宮殿入り口
宮殿の中庭 二階への階段、窓が少ない 廊下はかなり狭い ふるいモザイクの床
聖ヨハネ騎士団はローマ・カトリック教会がエルサレムに設けた巡礼のための接待所(というか病院)で、西洋諸国の僧籍に入らされた貴族の二男で構成されていた。(中世の貴族の家庭では長男が領土を相続し、二男は僧侶になり三男以下は騎士になる。領土の細分化を防ぐためだ。娘たちの多くも尼僧にされた。持参金を節約するために。日本でも似たようなシステムがある。)
かつては病室だった部屋 回廊には古い石棺がおかれ、中庭には当時の石の砲弾がおかれていた。
この病院跡の博物館には騎士団関係の資料だけでなく、ロードス島に残されている古代からのさまざまな資料が残されていたが(惜しいことに石像の多くはほとんどが欠けていた。)蒸し暑かったのと点数があまりに多いのでギブアップしてしまった。
避暑地としてのロードス島
ワインがおいしい。オウムが多い。海がきれい。花がきれい。(ロードスという名はローズから来ているという。私はこの日偶然バラの花のプリントされたTシャツをきて歩いたが。)
バカンスに来た人々 石畳の通りには沢山のお店がならぶ あちこちに大型のインコが飼われていた
城壁一周のミニ・トレイン
騎士団の要塞を囲む城壁を一周するミニ・トレインには乗り損なった。船での昼食ののち、休みたくなったらしい「ソくらデス」が「俺はきたくて来たんじゃない」とかなんとか言い出した・・・そこまで言われてなおミニトレインに乗りたいと言い張れば私は鬼女と言われているようなもの。以降下船まで一歩も船室からでないと宣言してしまった。(素直に「疲れているから行きたくない」と言ってくれれば私一人で行ったんだけど。)私が動こうとしないので彼は一人ででかけ(行く先も告げずー実はミニトレインの時刻表を確認に行ったらしい。)船にもどって誘ってくれたのだけれど、その時はすでに遅かったのです。旅の疲れが出るころには喧嘩が増えます・・・旅に出るとハイになる私と、そんな私に付きあわされている彼との間に。(それでも一人旅よりましだと思われているなら感謝しないといけないかも。なにせ私はクサンチッペなのだから。)
船のプールで
当然ながら海水プールです。奥の舞台で踊る人も。 甲板で風にふかれる もちろん着衣でも利用可
クルーズ文化
エーゲ海クルーズは太平洋や大西洋をクルーズするわけではないので、乗客をあきさせないような配慮はいらない。私のような船好きなら毎日甲板に立って波をみているだけで幸せだし。だけど、それがクルーズ文化の歴史の差なのか、毎日異なる島に寄港するこのクルーズでも盛り沢山の娯楽が用意されていた。今残念に思うのはギリシア・ダンス・ショーを見逃したこととギリシア・ダンスの講習に参加しなかったこと。帰国してから知ったのだがダンスを抜きにしてギリシア人を語ることはできないようだ。西洋人の乗客の中には島についても下船せずひたすら船の甲板で日光浴している人もいた。紫外線が皮膚に与える害が喧伝されている今日でもブロンズの肌(金持ちの象徴)を手に入れたがる???
幸せとは何か
甲板のプールの奥の舞台で中米出身と思われる黒人系の従業員が音楽に合わせて踊りを踊りだし、船客たちを誘った。何人かが同調し、彼と一緒に踊りだしたが彼の動きについていけない。私は西洋人たちは日本人よりリズム感があると思っていたがどうしても誰もが一拍おくれてしまう。黒人の踊りは天衣無縫だった。それを見ながら私は考えた。彼は乗客より貧しいだろうけれども決して不幸ではないだろうと。。何かがなければ幸せになれない人は踊っている彼ほど幸せではないのではないだろうかと。
乗船、下船の順番について
航海中、島におりるときにはオプションのツァーを申し込んだ人から先に降りることができる。船会社にとっては大事な客だから。乗船客のほとんどは団体客だったが、すべての団体客がオプション・ツァーを申し込んでいるわけではなかった。国別に下されることが多く、一番多かった日本人でオプションを選択しない人が常に一番最後におろされた。日本は遠いので再訪しないと思い込んでいるのかなぁ。なお、この船には日本人の他スペイン人、ドイツ人、韓国人も乗っていた。
クレタ島、サントリニ島へ