2012年ギリシアの旅

私は団体旅行は嫌いです。理由は二つ。一つはトイレ恐怖症のため。二つ目の理由は自由がないから。自由には責任がともなうけれども。

それでも今回団体旅行にでかけたのは、移動手段が船であるということと、オプションが多かったからです。(オプションをとらなければ自由行動ができる。)

他のメリットとしてはチャーター便に乗れ、ノン・ストップでアテネまでとべるという事だった。(現在日本からアテネへ直行できる便はない。)日本からのクルーズと違ってアテネまでは飛行機で行くから、退屈の余り夜毎にダンスやトランプで暇つぶしをしたり、なれぬドレスをきてダンスを踊ったりというセレブを演じなくてもすむのもありがたい。(そういうスノブを一度はやってみたい思いがないわけではないけど、というか大いにある・・・)

ルネサンス期とローマ帝国に魅入られている私としては、ローマ帝国の版図であったギリシアに行くことなしに死ぬのは嫌である。こういう理由から渋るそくらデス(連れ合いのこと、彼とソクラテスの共通点は妻が悪妻であることだ。)を寄り切ってギリシアに行くことになった。

ダサイ!スーツ・ケースをガラガラとはサラバなのだ。
今回頑張って出発日の前日までに荷作りを完了し(今までは出発前夜に作っていた。)、そのスーツ・ケースを空港まで配送してもらった。やってみると非常に便利!!車輪がついていてもあれを引きずって歩くのは容易ではないし、はた迷惑でもある。いったいなんで今まで試みようとしなかったんだろう。「用事は忙しい人に頼め」という格言(?)があるが、その通り、暇だと返ってぎりぎりまで手をつけない傾向がある。今回は前日まで忙しかったので早めの荷作りできた・・・
(アメックスの宣伝とまちがえられても困るが、アメックス・カードを使うと帰国時の宅送代がただになる。これも出国時にもスーツ・ケースを宅配業者に運送してもらうことに決めた大きな理由である。)

チャーター便はいいな!
今回乗った飛行機は日本航空のチャーター便だった。現在日本からアテネへの直行便はない。だからか知らないがイスタンブールの上空を飛ぶとき、機長がやや興奮した様子で「この先、黒海の北を通り、イスタンブールを経由してアテネへ向います。」と機内放送をした。初めての航路だったかどうかは知らないが、少なくとも見飽きている航路ではないと思う。機長もうれしかったのではないかしらん。

行きもらくらく、帰りも楽々。乗客が少なく、通路側の席がとれ、しかも後部座席の中央部はがら空き。食事はいまいちだったけれど座りっぱなしの旅なのに食べ過ぎるのも問題だから、それに不服はない。クラブ・ツーリズムはここ何年かこのようなツァーを企画しているらしいが、ギリシアの財政危機が深刻化して以来旅行希望者が減って今回も何回か新聞広告を出したらしいが結果としてほどよい人数で出発できたのは幸運だった。



7月28日 アテネは暑い
まだ明るいうちにアテネについたので暑かった。一週間前だとこれに湿度が加わって、大抵の人が音を上げたそうだが日本の蒸し暑さになれている私でさえアテネは暑かった。おまけにアテネの市中に近づくにつれ、いたずらがきされた店やシャッターや壁が増え、不快な感じを受けた。貧すれば鈍するというのか、不景気な町は荒れた感じがする。

ホテルに着くや否やエアコンをかけようとしたが、部屋中がかび臭い上に音だけは凄いエアコンからは暖房かと思うような熱い風しかでてこない。いやはや。「貧困だけがギリシアの伴侶」だというフレーズは現代にもあてはまるのか・・・

ホテルの部屋のヴェランダからアクロポリスの神殿がみえた。
 
       

ギリシア風の衣装で       夕暮れのパルテノン神殿   ライトアップされた神殿
(20年以上も前に生協で
3500円で買った服) 

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成田から西へ、西へ。キエフから黒海西岸を通り、イスタンブールをこえてエーゲ海、アテネへ。