ベレンの塔
この塔はリスボン港に近い河口にあって、通行する船の管理、監督用に作られたそうで、かつて中に水牢もあったそうだ。河といっても向こう岸が見えないくらい幅が広い。海が近いせいか、明るくて空気が清明。海辺で育ったせいか山よりも海が好きだからすっかり気分がよくなる。海って開放的だからか、はたまたその先に何かがあるような気がするからか・・・
発見記念碑
先頭に刻まれているのがエンリケ航海王子
この人は実際には航海にでたわけではないが、航海王子という名で有名。
ポルトガルはスペインと競って大航海時代を開いたが南米でいまだにポルトガル語が使われている国はブラジルだけ。南北アメリカ、豪州、東南アジア、アフリカの原住民にとって、大航海時代は災厄の時代の始まりに過ぎない。
片手に剣、片手にコーランをもってイスラム教徒はユーラシア大陸や北アフリカを制圧したと言われているが、(片手に云々はイスラム教を貶めるためのキリスト教のプロパガンダだという説もある。)キリスト教は大航海時代にどう関わったか?
権力(武力)は権威のお墨付きを得たがる。(泥棒にも三分の理という奴だ。)他国を侵略し、所有するための正当性だ。両国は時の法王(アレクサンドロ6世-チェーザレ・ボルジアの父)に許可と線引きを求めた。
アレクサンドロ6世は、地球を2分割し、東側をスペインに、西側をポルトガルに与えた。(デマルカシオン)布教を条件に。自らの手を汚さずに信者(=収入)を増やせるからだ。改宗しない原住民は殺害してもよいというお墨付きまで与えて。
そういうことを考えるとこの記念碑はとんでもない代物だが、未知の世界に乗り出す悲壮感を感じさせるせいか何がしかの感慨をもたらす。(欲と二人連れとはいえ危険を顧みず困難に挑戦する勇気に。)
ヘロニモス修道院の正門。「なんで修道院がこんなに綺麗なのよ?」と叫んだ同行者がいたが、確かにそういう気もする。ヘロニモスとはヒエロニムスという聖人のことで新約聖書をギリシア語からラテン語へ翻訳した人であるという。
この修道院は色彩的な観点からすると派手では無いけれど造形美が見事だと思う。淡彩に近いのに心を奪われる。
この後昼食。忘れ物を届けてくれた給仕さんがいた。ポルトガル人は勤勉で正直だと言われている。(現地ガイドの話)
この後、昼食を食べてユーラシア大陸最西端のロカ岬と王家の離宮、シントラ王宮へ
208/3/18 午前 ベレンの塔、発見の記念碑、ヘロニモス修道院