07/04/11 マテーラ 往復

1)マテーラへ

国鉄駅のそばにあるビルの二階からマテーラやそれより西(ポテンツァ)、北へ行く私鉄FALの列車は出る。二階からでるなんて、やよいさんから聞いていな かったら気がつかなかっただろう。

お目当ての列車に乗ろうと思って、どれがマテーラまで行くのか聞いたが、要領を得ない。先頭列車はマテーラへ行くが、アルタムーラで乗り換えなきゃならな いという。直行はないの〜。(直行はなかったのだ。)

何とかなるさと乗り込んで、前の席に座っていた美しいお嬢さんに尋ねたらnon lo so(わからない)といって本を読み始めた。すると、近くに乗ってた人々が口々に「行くよ」と言ってくれた。すると先ほどのお嬢様があわてて 「questo va a Matera」とおっしゃる。嘘を言ったと思われるのがイヤだったのか???

列車は通勤客で混んでいた。だがマテーラに行くのは先頭2両だけという言葉は嘘ではなかった。マテーラへ行く支線の乗換駅でおりたら始発駅で6両あった車 両の後ろ4両は途中駅で切り離されいた。乗換駅alta mura(高い壁)駅までたどり着いたのは先頭の2両だけだった。ここから南マテーラ駅行きの列車に乗る。(一両編成)

前の座席に座ったおばあさんが「中国人か?」と尋ねてくる。「日本人だ。」というとがっかりしていた。中国製のお守りだか手提げだかをもっていたので話題 にしたかったらしい。この年代の女性はさびしがり屋が多い。(おばあさんに草の名前を尋ねたが、すべてerba(草)でおしまい。もっとも余り珍しい単語 いわれてもわからないし。)

中国人もいましたよ。同じ車両に。大きな荷物をもって。行商人なのか、単なる運びやか不明だったが、我々の会話に時折耳をそばだてているようだった。私た ちがマテーラへ降りるとき彼は「貴方はイタリア語が上手だ。」と言ってくれたので、私も「再見」といって別れた。すると彼は「さよなら」と挨拶してくれ た。中国では反日教育がすごいらしいけど、草の根レベルで交流する場合には、偏見を抱かず接してくれることがわかってうれしく思った。

列車の窓からは丘、小さな川、麦畑がみえた。
南イタリアの特産は良質の小麦だが、まだ丈が低かった。麦秋というのに変だと思ったがナポリ在住の不名誉副会長のお話によると刈り入れは八月だそうだとこ ろ変われば収穫期もかわるんだねぇ。時折巨大なフェンネルが現れ、巨大さに驚かされる。オリーブの古木も目に付く。

たった一両になってしまった南マテーラ行きの列車がマテーラにつく。私は念のためトイレを借りる。50セント払うと地下ホームのトイレの鍵を貸してくれ た。生理現象にもいちいちお金がいる、イタリアは妙な国だ。でも清潔だからいいか。

(いつも「ガイドの癖に無責任だ」と怒られるんだけど)さぁて、どちらに向かえばいいのかしらん。連れ合いはさっさと「地球の歩き方」を引っ張り出して 「こっちだ、こっちだ」と言いながら歩き出す。地図も用意せず、ほんとう?」なんて疑ぐりながらついてく私は本当にかわいらしくない女だこと。

2)マテーラで
フェデリーコ2世の城のところでバス通りとわかれ、広場についた。広場にはテラスがあり、二つのマテーラが良く見えた。(自然が作った洞窟をそのまま利用 してすんでいた古い時代のマテーラと、山全体を教会つきの町に彫りぬいた新しいマテーラが)



古い時代のマテーラ
gravinaと呼ばれる深い峡谷の向こうにある。



この教会は絶壁の上にたっている
その絶壁の下には長い年月をかけて
峡谷をきざみつづけた川が今も流れている。



こちらが山全体を掘りぬいて作られた比較的新しい町

私は、何故だか知らないが、人が自然を敬い、おそれていたころの古いマテーラに魅せられてしまった。

ところが、案内所の話だとバス便がなく、ガイドを雇わなければ向こう岸には行けないという。おまけに旧市街をみようと思って簡単な案内図をくれというと葉 書2枚くらいの大きさなのに2ユーロで買えという。

私にはマテーラの旧市街が余り好ましいと思えない。先ず、なんといっても汚い。人々の服装もみすぼらしい。落書きが多く、道も汚い。まぁまぁと思ったのは 野良犬がのんびり暮らしているということ、お昼にのんだワインの香りがよく薬草のフレーバーがしたことくらいだ。                               

峡谷をこえて古いマテーラに行くかどうかで意見が分かれてしまった。ソクラでスは絶体対岸に行きたくないという。彼の意思は固く、頑強に拒否されたので致 し方なし。帰りはバスにしようかと思ったり、フェデリーコ2世の城くらいみたいとは思ったけど、バス停がわからぬ。バス停を探してうろついてると修学旅行 の学生たちが奇異な目で見る。バスをあきらめ、列車でバリへ帰った。私はもう頭にきて、彼とは別の車両にのって帰った。またまたやってしまった恒例の喧 嘩。(宿に
つくまでには仲直りをしたのだが。古いマテーラへ一人でいく手もあったが、いつも二人で旅しているので、一人で行ってもさびしいのです。)             

ソクラでスはホテルに帰り着くとすぐベッドに寝そべった。彼をおいて、私はバリの海岸をふらついた。最初にきたバスにのって終点まで行き、反対向きのバス で宿にもどろう、と思ったけど約束の時間までに帰れる保障はない。結局文具屋で暇つぶしをして帰室。ホテルご推奨の隣の食堂「オペラ」で夕食・・・おいし かったし、綺麗な店だった。



え〜っと上が本邦初公開のソクラでス
バリのBostonホテルで静養しているところ

実は無帽、サングラスなしでマテーラに行き
強烈な日差しで日射病にやられて調子を崩して
しまったのです。「具合悪いから行きたくない」と
一言言ってくれれば喧嘩しなくてすんだのに・・・
時差ぼけもあったようで。

因みに、4連泊したバリ・ボストンホテルは
駅にも近いが危険な地域ではなく、落ち着ける宿で
受付の対応もよかった。

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