NO. 19  トラーパニ その2
 
マッタンツァから帰ったその夜は、B&Bの向かいのバール で、デボラという女の子と、約束があった。
 
昨夜そのバールへ寄った時、客や店の人達が、異常に日本に親しみを持っていたのだ。
不思議に思って聞いてみると、このバールのオーナーのお兄さんが、六本木のレストランで働いていて、このバールの常連さん達は、どうもオーナーの一族らしい。
 
血の濃いところでは、兄弟、姉妹、そして いとこに、姪、甥、それに、それぞれの連れ合いや恋人・・・紹介されても、覚えられない。
 
いとこや姪達は、親戚をたずねて東京へ行ったとか、今年の夏に行くとか・・・
だから、日本人の私に色々と話をしてくる。
 
で、その夜はアメリカとのサッカーの試合があるので、一緒に応援をしないかと、オーナーのいとこの恋人であるデボラから誘われていたのだ。
 
夜10時にそのバールへ行き、ワインを飲みながら、その一族と大騒ぎのサッカー応援をした。
 
そこに、VITOというオーナーの伯父さんがいて、私に"明日、エリチェへ連れて行ってあげようか?"と、言ってきた。

エリチェは、近くの山の上にある可愛い街で、8年前にちょっと寄っただけで、今回はゆっくりと散策したいと思っていたが、明日は日曜日で、バスの本数も激減し、又どこからバスに乗ればいいのかも分からなかったので、渡りに船とばかりにOKした。
 
そして日曜日の朝10時に待ち合わせし て、トラーパニの街を色々と周ってから、エリチェへ向かった。

          

   トラーパニの旧市街               エリチェの石畳

彼は英語も話せるし、シチリア訛りのないイタリア語を、解るように二度づつ話してくれるので、会話もスムーズに行った。
 
でもイタリア語だけの生活に、私の疲れは日に日に増し、食欲も随分と減って来ていて、かなり痩せてきているのも自覚していた。
 
VITOはトラーパニにもエリチェにも家を持っていて、夏の間は涼し い山の上のエリチェに住むらしい。知り合いのレストランやバールへ連れてくれたが、どこの店も顔パスでお金をとらない。

レストランでは、前菜で魚のマリネのようなものが出てきて、
私が
"これは、何??"と聞くと、
"えっ??知らないの? スシだよ。スシを知らないの?"と彼は言う。

 店の人も出てきて、
"あなた、日本人でしょ? スシを知らないの? 本当に日本人なの?"
と言われた。
 
日本のスシもずい分誤解されてるようだけど、その頃の私には訂正をするだけの、気力もないほど疲れていた。
 
VITOはシチリア人らしく、よくしゃべる。

自分の息子が働かないで、いくつになっても親の財布をあてにしてい る。
別れた嫁が育てている子供に養育費も払わずに、遊んでばかりいる。
とんでもない息子だ・・・・・と。いきなり濃い内容の話をしてくる。
 
これが日本人なら、私はきっと、
"あんた!どんな育て方したん?そら、あんたが悪いわ!!"
とでも言うところが、疲れていて、イタリア語を考えるだけの気力もな く
"うん、うん、つらいねえ・・気持ちはわかるわ・・"
と、聞き上手なホステスのような会話になってしまい、
それが、優しい女と思われたのか、彼は
"僕と一緒に住まないか?" と言ってくる。
 
そして、彼の同級生のバールでは延々おしゃべりが続き、もうクタクタ になった私は、早々にB&Bまで送ってもらった。
 
でも、エリチェの街の可愛いこと!!
VITOのお陰で、エリチェの奥の小さい路地まで見る事ができた。

              
 
B&Bへ帰って、部屋で寝ていてもバスルームの共同使用が気 になってなんか落ち着かない。

夜遅くかかってきたVITOからの電話に出る元気も、その頃の私には無くなっていた。
 
 
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