さようなら Siracusa
 
学校最後の日、アメリカ人学生3人と私は最終のテストを受けた。
採点後、 Paolaという先生が"yayoiは最高点だったよ" と言いに来てくれ、年甲斐もなく私は飛び上がった。

記念に先生達と写真を撮り



家へ帰ってか らすぐに、教科書、参考書、もう着ない服等をダンボールの箱に詰 めて、日本へ送る為、郵便局へ向かった。途中Brunoと出会い、バイクで送ってもらった。
 
郵便局の小包 のカウンターのおじいさんは、送り主の住所のLingua Viva という名前を見て、"これは、なんだ?レストランか? " とか、"どうして、そんなにイタリア語が話せるのか?"と、 手を休めて聞いてくる。

待っている人 達も私に"一人で来てるの?""子供はいるの?" と質問をしてくるので、荷物を送るだけで、30分はかかった。
そして日本に 到着するのに30日位かかるときいていた荷物が、私が帰国する前に届いていた。結局6日で届いたのだ。きっ とおじいさんのサービスで・・・・? 船便から航空便 に? 
 
最後の夜は Ken ,Mami とBrunoの店で食事をした。
明朝ここを発ち、Siciliaを旅する予定をしていたが、いろんな 人達が、最後に日本へ帰る前に、もう一度ここへ戻っておいでよ、 と言ってくれ、Jon Yean も二週間後に韓国から彼氏が来るし、Yayoi に紹介したいし、帰っ てきて、と言うので、私は帰国前に2泊位は戻り、Irene の経営するB&Bに泊まるつもりだった。
 
翌朝 Cataniaまで電車で行き、駅でDeboraと待ち合わせ、車 でSiciliaの東海岸沿いの Aci Castelloの彼女の家へ行った。


 
数年前に、お父さんが亡くなられ、今はお母さんと愛犬のAlgoと暮らしている。

彼女の家は、 劇場や映画館を経営し、数日前にSiciliaで初めてというシ ネコンをオープンさせたばかりと聞いていたが、その豪邸ぶりにびっくり!私に与えられたバスルームは、Siracusaで借りていたア パートよりも広いではないか!!
 
Debora のお母さんのGordanaは私と同じ歳だけれども、夫が亡くなってからは、外へ出る元気もなくなり、ずっと家にいるらしい。
日本では夫が 亡くなっても、元気で暮らす女性は多いいや、逆に夫が亡くなった後、急 に元気になる人もいるのに・・・・
カップル社会 のイタリアでは、一人になると暮らしにくいのではないか、など と、感じた。
 
この家では時が静かに過ぎて行き、お料理をしているGordanaを手伝おうとしても、庭の水やりを手伝おうとしても、"Yayoiはお客様なんだから、じっとしていて。
と言われた が、貧乏性の私には、犬と遊ぶだけではあまりにも退屈だった。

 
夜には、古い イタリア映画の"揺れる大地" の舞台になったAci Trezzaへドライブに行った。この映画は、戦後の貧しいイタ リア、特に貧しいシチリアの漁師の話で、その頃のイメージを期待 していたのに、すっかりリゾート地になってしまっていた。
 
Gordana がシチリアで一番美味しいと言うピゼリアで大きなピザを食べ、帰っ てから、庭のテラスで、ビールを飲みながら、彼女と、お互いの人 生や、子供の事を語り合った。

深い内容になると、解らない事も多いが、イタリア語を習い始めて2年5ヶ月で、こうしてイタリア人と語り合ってる自分が 信じられなかった。
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