パ
ヴァロッティ騒動
語学学校
は二週間単位で受講できるので、二週過ぎると、
帰国する人、入学する人で、顔ぶれが変わる。
日本人の
Kenという青年が入って来て、仲良くなった。
彼はオペ
ラ歌手で、実は新婚旅行だと言う。
"えっ?
お嫁さんは?"と聞くと、奥さんもオペラ歌手で、
彼女はイタリア留学の経験もあり、イタリア語は堪能だけど、
イタリア
語の出来ない夫を憂い、一足先に彼を現地へ行かせ、
まず語学を勉強させ、彼女は10日後にここへやって来て、
その後旅行をする計画だそうだ。
Kenは
レベル1のクラスに入り、学校紹介のアパートに住んでいた。
そのア
パートのひどい事!
Kenに
は悪いが、私は学校に住居を任せないで良かったと痛感した。
彼の部屋
は一階で真っ暗、窓はなし、狭い、汚い、おまけにトイレには便座もない。
KENは
愛妻が来たらかわいそうだと、会う度に、便座の話ばっかりしていた。
元々音楽
の仕事をしていた私は、クラシック畑は堅物ばっかりで面白味がないという
イメージ
を持っていたが、彼は実に楽しい。
明るく
て、ユーモアもあり、一緒に飲んでいる時、
"ちょっ
と歌って!"と言うと、快く歌ってくれる。
さすがプ
ロ!!
彼の声量
に周りの人が驚き、大喜びでやって来て、
"もっと
歌って パヴァロッティ、パバロッティ!!" と大騒ぎになる。
Bruno
の店で歌った時も、隣の店にいた客や散歩中の人達からも
"パバ
ロッティ、パバロッティ!!"と超人気者になり、Brunoの店に
どんどん
とお客が入ってくる。
呼び込み
のGiovanniの数十倍の効力がある。
それ以来
パバロッティの噂は町中に広がり、知らない人が私に
"今日は
パバロッティはどこで歌うの?"と聞かれる事もあった。
Bruno
の店の人達は、私が通るたびに、以前よりも増してビールをご馳走したがる。
彼等の魂
胆のわかってる私は、そう易々とタダ酒を飲むわけにはいかない。
ある朝
Giovanniは私の顔を見ると、とんで来て、
"今日は
フランス人の団体が来るけど、ご馳走するし、パバロッティに来てもらえないか?"
と強引に
頼んでくる。
どうも彼
等は、日本のパバロッティの歌がついている、と予約をとったようだ。
それ以来
私は、アパートへ帰る時、Ortigiaの先端をグルリと遠回りしていた。
写真は Kenの誕生日に私の部屋でパーティをして、ベランダからの彼の酔った歌声に
散歩中の
人達が集まってきたもの。
で、むこ
うの方から、BrunoとGiovanniがこっちへ来いと手を振っている。
約10日
後、Kenの愛妻のMamiが到着。
彼女の第
一声は、
"イタリ
ア語を習いに来たのに、どうして関西弁になってるの?"
Kenに
とっては、学校の4時間足らずのイタリア語よりも、
その後の関西弁の方が身についてしまったようだ。
私の方が
先にSiracusaを発つので、最後の日はBrunoの店で夕食をした。
その日の
昼に、又ビールをご馳走になっていた時、"今晩みんなで来るよ"と言っておいたら、
なんと
TVカメラまで呼んでいて、彼の歌ってる姿をバッチリと撮っていた。
恐るべ
し、Kenの歌唱力!
今年のお
正月のNHKニューイヤーオペラには、二人とも出演していました。
店主のBrunoとKenとMami
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