○一番の景色
は記憶の中にあり。
確かにピアッツァ・アルメリーナは凄い。あんなに昔に、あんなに海
から離れた
場所に、壮大で、華麗なモザイクとフレスコ画(部分的にしか残っていない)の
別荘をたてたローマ人には驚かされる。しかし、私とソっちゃんの脳裏に残った
素晴らしい景色とは、連綿と続くのどかなシチリアの農地、放牧地だったのです。
こんなに沢山の果実、農産物、牛、水牛を誰が消費するのだろう?どこまで
行っても人家は見えず、灌漑用の導水管、ため池、水路が間歇的に走っている。
バスの窓から写した風景、右側に鉄道が走り、
その手前には灌漑用の導水管が走っている。
シチリアを豊かな耕作地にかえたのは当時は
西洋よりも優れた文化をもっていたアラブ
人たちであったという。
シチリアは農産物の宝庫で、トスカーナ地方などはここの良質で安価な小麦に
太刀打ちできず、オリーブと葡萄の栽培で対抗するようになったといわれる。
手前は放牧地、水牛とか牛が時々みえました。
後の高い山の上に町が見える。マラリアを
避けるために町は高いところに作られた。

延々と続く果実畑
一体こんなに沢山作って誰が食べるんだろ?
そんな疑問がふつふつとわいてきます。
アグリジェントへ行く鉄道は石ころだらけの禿山を縫って走っていきましたが、
こちらはほとんどが悠然たる耕地に山というより低い丘が続く。まっすぐに続く
高速道を疾走するバスの中からは写真が撮れなかったことが非常に残念です。
○白タクの手配師
バスの中で私たちが話していると、右列の一番目の席に座っていたお
じさんが
振り返って、「piazza armerinaへ行くのか?」と聞く。(私たちがpiazza armerina
という言葉を連発していたからだろう。)この人しきりと後を向いて(私たちは
二番目の席に座っていた。)何かと話しかけてくる。お国自慢をしたいのだろう
くらいに思っていたら、そのうち、「今の時間に行くと、カザーレ荘(モザイクの
ある遺跡)に行くバスはないよ。」という。ソっちゃんも「そうだ、この地球の歩き
方」にもそう載っている。」という。「え〜、そうなの〜?」と何も調べられなかった
私はうろたえる。
するとかの紳士が「俺の友人に案内させよう。エンナから帰りたいのか?」と
聞く。「片道一人10ユーロでいいよ。」という。(このとき彼の奥さんは旦那の
友人とやらに既に携帯で連絡していたようだった。だってプルマンが着いたときに
その友人とやらは既にプルマンの終着駅に来ていたのだから。)
これがピアッツァ・アルメリーナの町
(プルマンの終点で、ここからモザイクのある
遺跡までは公営バスが走っています。約5KM)

ここは白タクの運ちゃんの言うとおり
見捨てられた町
ほとんどの店はしまっていて、老人ばかりが
目に付く。仕事がないんだそうだ。
で、結局私たちはその白タクに乗りました。だってカザーレ荘まで歩くわけには
いきませんから。彼はバスに乗っていた人のことを(白タク)のボスだと
いってましたから、友人と言うよりボスだったのでしょう。私一人だったらきっと
のらなかったでしょうね。吹っかけられたり、何がおこるか不安ですから。
公営バスで行けば80チェントですから約12.5倍支払ったことになる。
これがモザイクで有名なカザーレ荘の入り口
保全のため天井はアクリル(多分)覆われています。
カザーレ荘には欧米の旅行者が観光バス(多分)
に乗って沢山来ていました。学校の 遠足とか修学旅行も
多いそうです。(この日は見なかったけど。)
皆さん、下方の床を懸命にみてますね。この季節でも中に
いると実に暑かったです。夏に行ったら地獄だろうな。

上記の皆さんが眺めているのは床のモザイク

歩いている廊下一面がこうなのですから
ゴージャスなものです。

一番人気のお姉さんたち
アクリルの天蓋の梁の影が
邪魔だと思われる方は
下のページから公式サイトをみてください。
Piazza
Armerinaの公式ページ
帰りも白タク氏の世話になる。
ずらりと並んだお土産屋を尻目にバスの時刻表を
探して、みていると、なんと行きの白タクのおじさんが
いるではないか。彼がまたもいう、「カターニャへの
最終プルマンに間に合うバスはないよ。」
ソっちゃんの持っている「地球の歩き方」に載っているのと
時刻が確かに違う。最終バスにのればプルマンを逃す危険が
ある。というわけで白タク氏が待っていた他のイタリア人
夫婦と一緒にまた彼の軽自動車に乗る。(歩いては行けない
もんね。しかたない。)白タク氏は「司教座教会-duomoも案内
する」というけど、私たちは断ってプルマンの停留所にいったものの、
時間が余るので、歩いてDuomoに行ったのである。
と、そこには白タク氏がかのイタリアーニ夫婦の参拝を
待っていたのであった。ちなみにduomoは上記の町の説明写真
の中にひときわ高くそびえている建物です。
これがduomoの中。汚い外見からは想像もできない
美しさでしょ。泡を食ってしまいました。なんで
この町にこんなにも美しい、豪華な教会が
あるんだよ。
この壁、確かスグラッチャートとかいう漆喰の
レリーフだ。昨日建てたばかりのようにきれい。
なあんか矛盾を感じますなぁ。あの汚い町、
汚い外観を見ていると。これがイタリアの底力か?
帰りはまたもやプルマンにのって楽しいシチリアの
内陸探検を終えたのであります。
ちなみに、お昼はガソリンスタンド併設のバール
でパニーニとカプチーノ+ジェラートですませました。え〜っと
夜はカターニャ海岸沿いの何故かParigi(パリ)と
いう名のpizzeriaでピザとビールを食べた。
ヤマハのシンセサイザーがおいてあって、私はまた
わが日本の技術を誇りに思ったのであります。
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白タク考
帰りのバスの連絡具合から察すると、カザーレ荘と
プルマンのターミナル(Piazza Armerinaの中心。
Piazza Armerinaはcomuneだそうだから日本で言えば
市なのだと思う。いや、区かな?文京区は市になりたくて
Bunkyo Comuneと名乗っているから。)の間はプルマンの
発着に間に合うように公営バスが走っているように思われる。
つまり、公営バスの時刻表はプルマンの時刻表と連動して
いるのではないか?だって唯一の見せ物であるカザーレ荘
への往来が不便だと、誰も乗らないではないか。
几帳面を絵に描いたようなテンション民族である大和の民は、
ターミナルでの接続に余裕のなさそうな公営バスをさけてしま
ったのだが、(Signora Forseを名乗る私も、こういう場合には
テンション族になってしまうのだ。)公営の最終バスにのっても
プルマンには十分間に合ったのではないだろうか?
問題は「地球の歩き方」の時刻表の載せ方だと思う。
公営バスとプルマンの両方を載せてあれば両者が
うまく接続しているかどうかわかったはず。プルマンの時刻表が
変われば公営バスのそれも変わるはずなのに、公営バスの
時刻表だけをのせたためにソっちゃんは判断を誤ったのだと
思う。それにしても、ホテルでネットが使えればこういうミスは
しなくてもすんだのに。イタリアに行ってからネットで情報を
とろうとした私がワルイ?
Piazza ArmerinaとEnnaを結ぶ公営バスもありました。
後で時刻表を探してみよう。こちらは多分鉄道の時刻表と
連結しているだろう。
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シャワーしかない高級ホテル
(海に面したところではギリシア神話の海神ネットゥノ=
ネプチューンの銅像とか、名前をとったホテルが多い。
ちなみにこのホテルの側にはネットゥノ公園という
遊園地があって土日は子供連れで大賑わいだった。)
Katane Palace Hotel Cataniaのダブル・ブッキングで
途中宿替えしたホテルNettunoは前者よりグレードが
上だそうだが、(守衛付の門とプールがあり、海岸に面していた。
警備は厳重)
1、部屋にはお風呂がなく、(抗議して翌日はお風呂付の部屋に代わった。)
2、海もみえず(翌日の部屋は海に面していた。)
3、ネットが有料で、しかも、日本語表示も、日本語入力もできない。
ワタシャ、いまや社会人になっている我がせがれどもと
連絡をとるためにyahooのフリーアドレスを使っているのに
それが使えない!!コンシェルジェにincredibileと言ってやった。
このコンシェルジェはスマートな、イギリス紳士風の青年で
「貴方はイタリア語が上手だ。」とほめてはくれたが、カターニャの
お金持ちを毎日相手にしているせいか、気にさわることを
言う。(悪意はないのだろうから単なる私の僻みかも。)
このホテルは前のホテルより遠いし、バスも不便。
(お金持ちはバスなんかに乗らないから、こういう理由で文句言う人は
いないんだろうなぁ。)朝食に生ハムもモツアレラも出ない。がっかり。
プールなんかあっても食えないもんね。お風呂も汚いし。
ロシア人の団体が我が物顔で食堂で朝食をとっていた。
彼らは騒々しい、夜しかいない私たちには少しも有難くない
高級ホテルだったのである。
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