060513 タオルミナ

メッシーナ中央駅から再び鉄道にのり、タオルミナへ。
タオルミナはお金持ちの保養地として有名すぎる町ですが、確かに美しい。

teatro greco

ギリシア劇場から海が見える。どうしてこんな山のてっぺんに劇場を
作ったのだろう?夏のバカンスの間、さまざまな催し物が催される
ようだ。この日も桟敷などが用意されていた。

欧米のお金持ちがここに別荘をもちたくて、ついにはとんでもない山の上や
がけっぷちにまで建てた家をみるのは楽しい。だが町の中は人ごみにあふれ
ている。snobな町。(先祖代々の由緒正しいビンボ〜な私にこそふさわしい町?)

サラセンの城と山の上の別荘郡

左のサラセンの城砦に行くにはバスターミナルからのバスに乗る。決断が遅く
て、終バスに間に合わなくていけなくて残念。右の丘の上には別荘郡がある。

鉄道駅には高速経由のバスが通らないので、バスの便が少ない。バス停の
表示があっても、時刻表がない。思えばこれがその後のお疲れ旅を示唆して
いたのだった。

車がないのは首がないのと同じ
商人の町として有名な大阪のことわざ(?)に「金がないのは首がない に等しい」
という表現がある。イタリアにおいては「金」の部分が「車」におきかわるみたいだ。
特に、南イタリアにおいて。

「驕れる白人と闘うための日本近代史」という本の中で著者は
第二次大戦の同盟国の中でドイツとイタリアは戦争前からアメリカの
車中心社会に強い憧れをもち、高速道路をととのえたが公共交通システムの
整備をなおざりにしたと書いている。ノー・カーの旅人や交通弱者は不便をしいられる。

マイカーをもっていても、渋滞でなやむのは同じ。バス停で待ちぼうけをくうより
ましかも知れないが・・・バス停の表示があっても時刻表がないのは当然だ。
いつくるかわからない、保証できないのだから。
(万歳、東京の地下鉄!!!とここでも右翼化する私だった。)

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