今度のたびは、前回同様そくらデす(以降ソっちゃんと略す)の要望で
定点宿泊型となった。(いつもソっちゃんの半分の荷物しかもっていかない
私としては一筆書きがた旅行のほうが好きなのだが。)
「あんたの好きなように組んでいいよ。」といいながらいつもこうなってしまう
私たちのたび。
でも定点宿泊型のたびにもいいところがある。その日の体調に応じていく先を
変えられるところだ。当初、この日はピアッツァ・アルメリーナに行く予定だったが
長旅の翌日なので、のんびりすごせる(だろう)鉄道のたびに変更した。
インターシティの2等車のコンパートメントに乗っていると、ローマに住んでいる
年金生活者の夫婦が同じ室にのってきた。きけばピアッツァ・アルメリーナの
出身で、彼の息子はタオルミナでカラビニエリ(憲兵だけど、軍の警察でない
よくわからぬ警官、斜にかけた白いベルトが格好いいよね。)をやっているという。
おじいさん、張り切って英語で話そうとするけど、イタリア人の英語は本当に
わかりにくい。「理解できない。」というと、がっかりするけど表現をかえて又
わからせようと話しかけてくる。娘がアメリカにすんでるとか、戦後シチリアは
イタリアではなく、アメリカの州になりたかったというがうべなるかな、です。
*
イタリア人の英語がわかりにくい理由
英語の単語をつづりどおりにローマ字読みするから。
例:brother→ブロデル、
義務教育でならう外国語は長らくフランス語だった。
習わなくてもある程度話せるのはすごい。欧米語の基礎はラテン語で共
通性
があるからかも知れない。
メッシーナの印象。
ホリエモン風にいうと、想定外に大きく、明るく、きれいな町だった。
下関とか、青森のようにそれなりの規模の静かな町を想像していた私は
よいほうに裏切られた感じをうけました。
メッシーナ海峡(対岸はイタリア本土)
明るくきれい
な市街 人通
りは
港ではつりをしている人もいた。 少ないが、トラムも走っている。
トラムがあ
るということで、メッシーナは公共交通の点では二重丸の町
爆撃で破壊
された後できた新しい街だからか道も広い。海に近いので
埋め立ても
簡単だし?
司教座教会 第二次大戦で破壊され、戦後再建されたもの。多くの他の教
会
のように外見は質素だが、中は広々しているし、外からは想像できないほ
ど
きれいだ。この教会の天井はパレルモのモン・レアレの天井に似ている。
日本との相違
建物が大きい。上の教会でもどうしてここまで大きくしなければいけない
の?と
思ってしまう。日本は軽小短薄で勝負するしかないな、と思う。
(軽小短薄だけならあちらにもある。だから高性能でなければ。)
建物が大きいということは町も大きいということだ。
歩いて回ると言う考えは捨てないと。タバコ屋さんなどで道を聞いても
車で来ていると思われているので、「すぐ先だよ。」といわれても歩いた
ら
遠いのだ。(おかげでこの日は26,000歩も歩いてしまった。)
州立美術館まで歩いていってくたびれてしまった。帰りはトラムですいす
い〜。
大体、駅近くを走っているトラムの行く先がmuseo(博物館)だっ
た。
ということは、かなり遠方にある、と考えるべき・・日本の感覚で「歩い
ていれば
いつか着くさ、第一券をどこでかう?」と歩き出すソっちゃんには何時も
泣かされるのであります。
車社会にしては道が狭い(特に古い都市の場合)
日本では道を作ってから建物を建てるという感覚だが、建物をたて、建物
と
建物の間が道になる、という感じ。建物が頑健なのでいったんできあがっ
て
しまうと改修が困難。綿密に計画して作られているのだと思うが、現在の
車社会
までは予想して作られていないのが大渋滞のもと・・・
州立美術館のカラヴァッジョ
殺人をおかして各地を転々としたカラヴァッジョがここでかいたという板
絵がある。
(係員に聞かなければわからなかった。)あれは贋作か、真筆だとしても
駄作だと思う。
それとも表面の汚れを落として修復すればカポディモンティの作品のよう
に明暗の
はっきりした、それらしい作品になるのか不明です。
この美術館で、旧日本兵のかぶとに書いてあったという文字を読ま
された。
大森区田園調布田中なにがしと書いてあった。
遺族を探して、返還してもらうように働きかけたほうがいいのかなぁ。
お昼は駅のバールで買ったパニーノとガス入り水を列車で食べる。
夜はカタニャに帰り、ホテルのコンシェルジェに紹介してもらったトラッ
トリアで
食べた。さすが海の町、魚介がおいしく、ボンゴレのアサリが山の様だっ
た。