パリオ見物 (こちらがパリオのサ イトです。)
今日はシエナでパリオを見ることに。
駅まで行って、シエナ行きのバスを探す。駅正面からみて左側に乗り場があった。
バスの中には学生が沢山のっていたので、にぎやかだった。
Duomo見物
トスカーナの丘陵地帯を縫ってバスはシエナに。さて問題はこれから。事前に調査をしていなかったので
いつから始まるのかわからない。カンポ広場には水売りがいるだけ。真夏の石の広場はただ暑いだけである。
シエナのDuomo(司教座教会)をみる。小さいけれども、とても美しい教会で私はたちまちこの教会が好きになって
しまった。サイトはこちらです。
犬をだいた紳士
問題はこれから。教会もみたし、パリオはいつから始まるのだろう。広場よりも道に人があふれてきた。
教会を出て、誰かに尋ねることにした。いたいた!可愛い姉妹が。子供なら下手なイタリア語でもひけめを感じない
ですむ。尋ねると、へんな顔をしている。私の言っていることがわからないらしい。彼女らが駆け寄った先には
犬を抱いた紳士がいた。
「私らもわからない。」という。なんとイギリス人だったのだ。
犬をつれているのは地元の人という思いこみ、浅はかでした。
イギリス人はイタリアが好きだし、長期滞在するなら犬もつれてくるのだろう。
(あわてものの私は、別の箇所でこの人に出会って、同一人物とは気づかず、再度同じ質問をしてしまった。
彼はひたすらにほほえんでいましたが、このおっちょこちょいめと思ってさぞおかしかったでしょうね。)
お嬢さん、気をつけて!
Duomoの中は蒸し風呂だが、外の階段は湿気が少ないので日陰にいると大層すずしい。
風にふかれて座っていると、バックパッカーの女子学生が来た。するとまもなく人相、風体の悪いアンちゃん
風の青年が彼女に近づいてきた。「日本人かい?中田はすごいね。」とかなんとか言っているうちに
「ここではなんだからbarに行ってなんかのまないか?」としきりにナンパしている。話がまとまると
アンちゃんは数人の仲間を連れてきて、「おれの友達だ。」とか紹介して、女子学生と一緒に消えて行った。
私は、彼女のママの世代だから、彼女の行動を危なっかしい思いでみていた。でもソクラでスにいうと
「自己責任さ。」という。Barで強い酒でもまぜられて、危険な目にあうかもしれないという発想は彼女には
ないのだろうか?そのアンちゃんは、粉をかける都度、私たちを気にして上目遣いでみていたが。
一般論として、外国を一人で旅している日本女性は同胞にあっても無視する人が多い。(男子学生とか現地住まいの
りーまんなどは反対に懐かしそうによってくる。)なのにだ。相手がガイジンとなると途端に警戒心をといてしまうのは
なぜだろう?
へこまないイタリア人
延々とくパレードが続き(といっても美しい衣装、旗なげの妙技が続き、少しもあきかったのだが。)さしもの
カンポ広場
も人であふれ、身動きもできなくなってきた。となると心配性のソクラでスは「最後まで見ているとバスに乗れ
ないぞ!」
と騒ぎ出す。あーあ!全責任を負わされるのもかなわないので、妥協して広場を抜けようとすると、入り口とい
う入り口は
すべて広場にむかう人ばかり。それでも中には外へ向かう人もいる。permesso,
permessoを連発しながら、その人の
後にくっついて広場を抜けた。私がバス乗り場の確認などで走り回る間にパリオは終わってしまった。(テレビ
で中継
していた。)バスには乗れたけれど、重要な目的を果たせたいえるのだろうか?
私たちがバス停にならんで、いるとパリオを見終わった人が後ろに並んだ。と、あるイタリア人が逆方向
に列を作り
始めた。「列にならべよ。」というと「イタリアではこういう方向に並ぶんだ。」なんていいおる。ほんとにへ
こまない奴だ。
唖然として二の句をつげられなかったのが残念。私のイタリア語力はまだまだだ。
わかりにくいSienaの町
イタリアの町をかなり歩いたがSienaはわかりにくい町に属すると思う。
これはカンポ広場と市庁舎がDuomoから独立しているからかもしれない。カンポ広場を中心にして同心円状
の
道がいくつも造られ、その道と交差しながら広場に入る道が何本もある。その道は門をへて広場につながってい
る。
パリオが始まる時には各門がしまる。この構造は外敵との戦争に役立つだろうな。でも直角交差の道になれてい
る
私たちにはわかりにくい町だった。小さい町だけどローマ字表記の地図を持参した方がいいでしょう。