楽しい学校生活

授業開始前にクラス分けテストがあった。不眠に悩まされて頭が朦朧としていたためと、遠い昔に習った文法なんか忘れてしまっていたからどうなる事かと思ったが、口頭試問で大部分の文法を終えている事を述べると中級クラスに入れられた。左の写真には生徒が四人しか写ってないが、最初の週には倍の人数の生徒がいた。レベルはまちまちで、本当にキチンと能力別編成しているとは思えなかったが翌週には生徒は四人に減り、先生も授業しやすそうだった。
最後まで共に勉強した人に対してはクラスメイトと言うより戦友に対する感情を持っている。スイス人のAさんはとても優秀で熱心でした。オランダ人のMさんは穏やかな感じのいい人でした。アメリカ人のCさんは気難しそうに見えたが内向的だけれど好ましい性格の青年でした。

先生方
合計四人の先生方におそわりました。(文法の先生+読む、聞く、話すための先生)*2週間
皆さん、親切で、私がnon ho capitoを連発しても嫌な顔一つせず、説明のスピードを落としたり、表現を変えたりしてわからせてくれました。真面目で余り笑わない先生もいましたが、大体がにこやかで、対話を好むという教師に欠かせない資質を有する方々でした。とても活発な先生にはcapo dei soldatiというあだ名を進呈しました。分からない問題を当てられた時、答える代わりに白いハンカチを挙げたりして私も結構ふざけてました。
テンション族の私は授業直前にトイレに行く癖があるのですが、教室に入るのが少し遅れた時には、閉じ込められたのじゃないかと思われて「大丈夫か?」と声をかけてくれたり彼らは本当に親切でした。
non ho capitoを連発するし、教室を間違えて迷子になるし私は以降Pecora neraと自称し、事務室にはベェ〜、ベェ〜と啼きながら入る始末。
capo dei soldatiは最後の授業で、「K.貴方には本当に笑わされたわ。」と言われた。
イタリアで17と言う数字が何故不吉とされるか、とか、語彙が少ない生徒のために彼にとって初出の単語の意味を解説したりもしたので、それなりの存在感を示すことはできたと思います。(黙って微笑んでばかりの日本人では断じてなかったつもり。)

西洋文明にかぶれることもなかった。これは、塩野七生さんや、高山正之さん、井沢元彦氏の本を読み学校では学ぶ事ができないキリスト教文明(欧米文明)の負の部分を知っていたからかも知れません。

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最後の授業のあと、校長先生をお迎え
に行き、撮ってもらった写真です。
デジカメのメモリが一杯なので使い捨て
カメラで撮ったものを(フラッシュ無し)
スキャンしたのでで暗すぎますが、
個人情報がもれないためには
これくらいがいいかも。
学校のテラスはめちゃくちゃ明るい。
岩山の上の元修道院(赤い→の先)
が眼前に迫る。もちろん海岸もエットナも。
絶景の地です。
学校のテラスから。条件がよければエトナ
が見える。