日本に対する思いこみ

ベネちゃんは、絶滅したと思われていた大和撫子が何故かイタリアで生き延びていたという感じの女性ですから、不躾な質問をするような

人ではありませんが、来日して間もない時の質問から、彼女の思いこみのようなものを感じました。
 

    家・・・日本の家は火事に弱いと思っていたようだ。木と紙でできているから、燃えやすいと思っていたのではないだろうか。

      私の答え「ここは、準不燃化地域だから、延焼しない構造であるが、内部から燃えた場合、有毒ガスが発生するので、息をしないで

      すぐ逃げるべし。」そうなんですよね。床たって本物の木は表面だけですからね。青酸ガスを吸うと一息すっただけでパタリと死ぬそうで。

      思えば恐ろしい家にすんでいます。で、耐用年数は36年。あああ、死ぬまではもってくれよう!!鉄骨が入ってるけど、壁が安物なので

      柱だけ残るかもしれない。年取って修繕費用もだせなくなったら、壁の代わりにムシロをぶらさげてくらそう。
 

      ベネちゃんの家はというと、築200年というから凄いです。歩くと床が波打つとも言ってました。これも凄いですね。石造りで、以前は

      電線などが古い壁の上を剥き出しのまま走っていたそうです。あちらでは新築が少ないので、リフォームの比重が高いそうで。

 コーヒー
      ベネちゃんの鞄が重い理由の一つは、彼女が我が家と、イタリアで交換教授していた方(現在は帰国して九州にすんでいる)への

      おみやげも持ってきてくれたからだったんです。(自家製のサラミとパルミジャーノ・レッジャーノ)

      それと、笑ってしまったのが、エスプレッソ・マシーン。ラバッツァ数袋。コーヒーメーカーは彼女のパパ、ママからの贈り物だったんですが、

      「ベネ、日本では、おいしいコーヒーがのめないに決まっているから、これをプレゼントして、おいしいコーヒーをいれてもらいなさい。と言わ

      れたんでしょ?」というと、ばつが悪そうに「そう、トモダチも日本のコーヒーはまずい、と言っていたから。」
 

      ははは。わたしんちにはイタリア博で買ったエスプレッソ・メーカーがあるのさ。そしてILLYの豆もね。

      でも、皆さん、ILLYの香りの良さ、味、あれは確かにイタリアの至宝だと思いませんか?あれをはじめて飲んだとき私は「私が今まで飲んで

      いたものは何だったんだろう?」と思ってしまったのです。親心もむべなるかなですよね。

ママの涙
      イタリアを発つ日は霧が深くて、渋滞ではらはらしたとか。出発の時、ママは泣いていたそうです。日本は遠い国なんですね。

      ベネツィアにはマルコ・ポーロを記念した空港がありますが、彼女は大先輩のマルコさんの見果てぬ夢のジパングまで来たわけですから
   
      遠いはずです。「貴方はマルコ・ポーロより遠くへ行ったはじめてのXX町出身者だよね。」と笑いあったものです。ああ、懐かしい。

      また、こないかな、ベネちゃん。

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