ホームスティ受け入れ顛末記−その2、ベネちゃんが残したもの

        ホームスティを引き受けて、大変でなかった、疲れなかったと言えば、嘘になる。

    だいたい私は社交的な性格ではないから。(そんな人はホームスティを受け入れるべきではないと次男は怒った。ごもっともです。

    だが、客観的条件においては、その時点で最上の受け入れ先だったと思う。)

    でも、多少の気苦労はしたけど、彼女はいい思い出、楽しい思い出を沢山、沢山残していってくれました。

    ●国が違っても、お互いが理解し合えること。

    ●言葉の大切さ。帰国間際には彼女と話しているとき、家族の誰もが、イタリア人と話しているという意識を持っていませんでした。

        同じ言葉を話すと言うことが、国とか人種をこえる、とても大切な手段だということを実感しました。

    ●イタリア人と言っても、ひとからげにできない。だからステレオタイプの思考はやめるべき。

    ●実践の大切さ。人付き合いに有効なマニュアルなどない。大上段にかまえすぎて後込みするくらいなら、ホームスティまず受けてみるべし。

    ●差異の体感。色の白さ、細く長い指、大きな目。観念としてしっていても、毎日一緒に暮らしていると、差異はしっかり体感させられ

     ます。これが変な方向に行くと、人種差別問題になるのでしょう。人間には色々違いがある、でも差別の理由にはならない。

     できれば、子供のうちから、色々な人種が一緒に暮らせればいいのでしょう。

    ●これ以降は、本人の資質によるものなので、イタリア人がこうだというつもりはありません。念のため。

     日本の同世代の女子学生と比べて、ずっと素朴。必要がないせいだろうけど、化粧などはしない。我慢強い。控え目。

     勉強熱心、協調性がある。感情が豊か。笑ってるとき、悲しいときは子供のように素直。進取の気性(納豆以外は何でも食べた。)

    ●音楽は国境を越える。

     彼女は久石壌のキクジローの夏が好きだった。(ただし、曲名は知らなかった)音楽がきっかけとなって次男と仲良くなる。

    ●我が家に新しい風が

     はじめての海外旅行で病気になり、二度と外国にはいきたくないと言っていた次男が、イタリアなら行くという。

     暇ができたらイタリア語も勉強したいと言ってます。

戻る