心地よい不便さ

          日本ほど便利な国はヨーロッパにはないと思う。日本の場合人口は都市に

集中しているため、インフラに対する資本投下も東京、大阪など大都市に必然的に

集中している。道路、地下鉄、鉄道など交通網も必要以上に発達し、これ以上不要

と思われてもパーキンソンの法則により際限なく作られていく。

一方で地方の田舎は相対的に不便で若い人は都会に出るため、過疎化がどんどん進む。
 

 日本と比べるとイタリア社会は不便だ。イタリアの場合、人口が都会に集中して

いない、各地で都市国家として発展して、中規模の都市が程よく散らばっている。
 

それぞれが自己完結型の都市で、その土地に生まれたものは、そこで育ち、仕事に

          つく。都会に出て、職を求めることは少ない。自分の人生を大切にするから、他人と

          付和雷同することもなく、分相応の暮らしで満足しているから、日本人の観点からは

          向上心がないように取られるが、そうではない。
 

 ミラノは人口160万人であるが、地下鉄は10年前まで2路線、今は3路線に

増えたが列車便数も少ない。不便なのでクルマが必需品である。クルマは一週間分

の食料品を買出しするのにも必要だ。
 

水道水が硬水で、石灰が入っているため、4人家族なら2リットル入りミネラルウオーターを

1ダースは運ばなければならないのでクルマでないと運べない。スーパーマーケットを始め、

商店は日曜日はお休みなので土曜日に買い物をすることになる。

もちろんコンビニのような24時間開いている店などない。
 

各商店は営業時間を市に届け出て、許可をもらうことになっており、その許可書をウインドウなどに

呈示しなければならない。

バーゲンの期間も同じく許可制で抜け駆けは許せない。かくして日本のように

日曜はもちろん、元旦まで店を開くなんていう過度な競争は起こらない。
 

 サービス業界で働く人も会社で勤める人と同じ休息日が必要な労働者とみなす

社会である。日曜日は誰にとっても休みたい、それなら全員がいっせいに休めば

よい。そのために法律で競争を抑制して、みんながゆったりした生活ができる

ようなシステムがヨーロッパには定着している。昔から日曜日が全ての人にとって

休息日なら、店が開いていないから不便だと考える人もいない。
 

「お客様は神様です」と消費者の利便性だけを考え、売上利益追求だけを考えると、

営業時間延長などして抜けがけすることになる。するとまた別の誰かがそれを

追い越す抜けがけをして、際限のない競争に陥り、そこに働く人にしわ寄せが

行く。ほんの少し不便さをがまんすればみんなが幸せになる、イタリアの

人間尊重の社会を日本も考え直してもよい頃だと思うのですが。
 

過労死なんていう言葉はイタリアの広辞苑には見出せない。働きすぎて死ぬ

なんてイタリア人には想像もできないだろう。人生は楽しむためにあるのだから。
 

日本の社会システムと異なるポイントを羅列してみた。

1)日曜日の商店はお休み。☆ 8月は当然バカンスで長期閉店、ホテルも閉まる。

2)銀行、テレビ局、警察、消防署、空港などもストをする。嘘だろう?いや本当!

3)路上に自動販売機は皆無。☆ 一晩でぶっ壊されるだろう。

4)公衆電話は3台に1台は壊れている。☆ 只でかけ放題のものには列をなしている。

5)コンビニはない。 ☆ 市の条例で許可しない。人間は夜は眠らないと。

6)列車の発車のベルはない。☆ 車内放送で次ぎの駅をアナウンスしてくれない。

7)スーパーのポリ袋は有料。☆ 資源を大事に。

8)交通信号灯の電球がよく切れている。☆ 信号がそれぞれ連動していないから渋滞。

9)エレベーターに(閉)のボタンがない。☆ せっかちの日本人はイライラ。

10)新聞は宅配してくれない、牛乳も配達してくれない。☆ キオスクで買うこと。

10)路上でティッシュペイパーを配っていない。☆ お金を出して買いなさい。

11)カレンダーは月曜日に始まり、日曜日で終わる。☆ ???

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