哀愁のアンダルシア

アランフェス協奏曲はスペインのロドリーゴが作曲したギター用の

コンチェルトであるが、ジャズの好きな私はマイルスデイビスとか

ジムホールの演奏を思い出す。あの哀愁のメロディを聞くたびに、いつか

はアンダルシアへの旅をしたいと心が胸騒ぎしていた。
 

クリスマス休暇は極寒のミラノを避けて、いつも南下することにしている。

今回はマラガまで空路で、そこを起点にクルマで海岸沿いをジブラルタルまで、

そしてセビリア、コルドバ、グラナダと時計廻りでドライブすることになった。
 

私はスペイン語は出来ないが、旅行程度の会話ならイタリア語で押し通し

ても差支えないだろう。相手はスペイン語で話し、私はイタリア語で押し

通してもコミュニケーションが図れるだろう。
 

イタリア語はイタリア人だけが話すマイナーな言葉だから、英語のように普遍性がないから

有用でないと言われているが、実際にヨーロッパ各地を旅行して英語より

イタリア語の方が汎用性があるように思える。

その昔には貧しかったイタリア人が、外国へ出稼ぎに行って、彼地に根をおろしているので、

イタリア語を話す人間の一人や二人はどんな田舎に行ってもいる。
 

反対にヨーロッパ大陸の田舎旅行では英語が通じない。スペイン語と

イタリア語はある程度は互換性があるので、スペイン語圏も含めれば、

イタリア語は立派な国際語と言えないこともない。
 

今回の旅行で唯一の英語圏(?)であるジブラルタルを訪れた。対岸はアフリカ大陸で狭い水路

になっている。第二次世界大戦ではこの海峡をドイツのUボートが通り

抜けるため英国の監視所になっており、今でもその廃墟が山頂にある。

ここは英国が300年前にスペインから強奪した英国領で、今でも重要な

軍事的重要拠点であり返還には至っていない。
 

当然国境もありスペインから入国する際にはゲートでパスポートの提示が

必要だ。一歩中に入るとリトル大英帝国で英語の看板、標識で通貨は英国

ポンド、赤いダブルデッカーのロンドンバスまで走っている。狭い領土の

わりにはとてつもなくだだっ広い駐車場がある。聞けば有事の際にジェット

戦闘機の発着場になるらしい。
 

さてパスポートを提示してスペインに再入国して一路セビリアを目指す。

アンダルシア特有の寂寥たる眺めが延々と続く。どんよりとした雲が垂れ込めた、

荒涼な風景がアンダルシアに来た、実感を倍加する。シチリアとよく似ているが、

ここはもっと風景が冷たく、人々の笑いも少ないようだ。
 

コルドバはイスラムの世界でメスキータと呼ぶとてつもなく大きい回教寺院がある。

石造りで偉大な建物であるが、手入れがされていないので外から見ると遺跡のようだ。

内部に入ると窓がないので真っ暗だが、目がなれると無数の大理石の柱が壮観だ、

その上のまだら模様のレンガのアーチが見えてくる。建物の隙間からレザー光線の

ように太陽光が射し込み、積もったほこりが舞い上がっているのがよくわかる。
 

街中を歩いて、道すがらのぞいた、家々の庭には必ずパティオがあった。

その周りにはたくさんの花鉢が飾られきれいに手入れされている。そこの住人

と目が合うと、もっと見てやってくれと自慢しているようだ。
 

さて今回の旅のハイライト、グラナダ、中学生の時に聴いた名曲

「アルハンブラの想い出」アルハンブラ宮殿はあの曲想にぴったりの、美しい

建物だった。箱根細工のような寄木箱を売っているみやげ物屋がたくさん

並んでいる坂道を上がった丘の上に位置しているが、建物の側面が深い谷

になっているので、谷の下から見上げる宮殿が一番美しい。

特に真っ赤な夕陽に染まった姿が美しいが、その昔、血なまぐさい闘争が

ここで繰り広げられた栄枯盛衰の歴史を呼び起こさせる。
 

この宮殿の敷地内にはパラドールがあり、ガイドブックには何ヶ月も前に

予約しないと泊まれないと書いてあった。だめもとで、飛び込みで頼んで

みたら家族用の一室があるとのこと、他のホテルの3泊分くらいの値段だった

がここは泊まるしかないと決めた。確かに5泊分払っても泊まる価値のある

ホテルだった。花と緑あふれる庭、広いテラスのある部屋、夜のとばりに

つつまれると漆黒の闇と静寂さはいっそう増し、「アランフェス」のメロディ

が聞こえてくるようだ。
 

ここで500年前にイスラム教とキリスト教の悲惨な戦いがあり落城したこと

など、イマージュは頭の中をかけめぐる。

(10Nov2000)  戻る