今日は欠航がない。 さよならマルコ・ポーロ空港 ドゴール空港は超モダン もはや夜である。
今日は奇跡的に飛行機が飛ぶ。余りに長い空港閉鎖に航空業界が耐えられなくなったせいもあるかも。だとすれば噴煙を吸い込んで、それがエンジンに付着して固まってエンジンがとまる可能性がある、と考えれば、「めでたさも中くらいなりオラが春」ですが。買ったときの券は自動チェックインできる券だったが、噴火騒動でそれも無効になり、空港に早めにいき、手続きをしなおした。空港では警備員が手荷物を見たがった。そんなにお金持ちにみえたのかな?それとも彼らが暇すぎたのか?
この旅行記も終わりに近づいた。胸が締め付けられる思いがするのは何故?いろいろありましたね。思わぬ噴火騒動にまきこまれ、ようやくたどり着いたヴェネツィア。ついた途端始まった帰れ帰れコール。遊んでいるうちに空港閉鎖もおさまるよ、と気楽に考える一方で、
1、いざとなれば鉄道でトルコまで出て、そこから飛行機で帰る。
2、シベリア鉄道でユーラシア太陸を横断し、最終的に船で帰国する。
3、噴煙がおさまるまでVeneちゃんに貸家を探してもらってそこで飛行機が飛ぶようになるまで待つ、などかなり脳天気な案を結構真剣に考えていた私。
そんなに暢気でいられたのは会社員であるワカが意外にも腹をくくっていたからだ。ケセラ・セラと。(イタリア語ではケ・サラ・サラになる。)
苦労話で盛り上がった機中
中でも一番悲惨な人々は、ツァーでフランスへでかけ、帰り際にパリで足止めを食った人たちであった。路銀も使い果たしたころパリで毎日スーパーに買出しに行き何とか露命をつないだという。飛行機が飛ぶ可能性もあるというわけで遠出もかなわずホテル近辺をうろつくしかなかったとか。それに比べれば行きたいとことに行き、予定通りの便で帰国できた私達は幸せ者だった。「つきすぎていて何だか怖い。」といっていた若だったがその後苦労の一年を送った・・・fine
ヴァポレットの出発までかなり時間が余ったので、ムラノ島の博物館と反対側を歩いてみたが特筆するものはない。後はヴァポレットに乗って、墓場だけの島とか、色々の島を見た後ホテルへ帰り、空港直行便(これは有料)のバスで空港へ。何と運のいいことか!予定通りの便で帰れたのだ。ヴェネツィアからドゴール空港経由で成田へ。(ドゴール空港ではかなりの距離を小走りで移動させられたけれども。乗客はほとんど日本人だった。)
金太郎飴の要領で作られるmillefiori(1000の花の意味)製のエスプレッソ・カップ
エスプレッソを注いだ途端、底が外れた。接着剤でくっつけた。