ミラノの時間はゆっくりと流れる。人の歩く速さも日本人と比べ遅いというより
ゆったり歩く。日本人観光客はリュックにスニーカーでモンテナポレオーネを
せっかちに早足でブランド店を飛び回っている。本人はいつものペースで歩いて
いるつもりだが、イタリアではそれではスピードの出すぎであることに気が
ついていない。
同じアジア人でも中国人なんかはゆったり歩いている。
イタリアには西欧の時間の流れがあり、日本と時間の流れとは違うわけです。
レストランで料理を頼んでも、日本のようにすぐに出てくるわけではない。
イライラしながら待っていたり、催促するする姿はみっともないと思いませんか?
家並みの光景も変わらない。石造りだから外観は変わらず、100年前の
白黒写真も、歩いている人々の服装が変わり、馬車がバスに取って変わった程度の
変化しかない。100年前の木版画の地図と比較しても街の鳥瞰図は変化
していない。中心は常にduomoの教会で、街の発展とともに年輪のようにどんどん
外側に膨張するだけだ。
飛行機のない時代は鉄道が主要交通機関でターミナル駅は
街の外周上に作られた。ミラノ中央駅もいつの間にか街の発展で飲み込まれて
中心区になってしまった。一度出来あがったものは、その姿でまた幾世代も
引き継がれる。日本のようにファッションの流行というのもない。
ミラネーゼはブランドものを身に付けない。お金持ちは英国調スタイルで、
ベーッシクな品質のよい服を何年も着つづける。
クルマのモデルチェンジも8年毎だ。消費文化ではなく保存文化とも呼べる、
家具、食器も代々その家に伝わったものが子供達に引き継がれる。こうして身の
回り、街の風景に急激な時系変化がないからその空間に住むと感じる時間も
ゆったりと流れることになる。
バカンスを取るイタリア人を日本人は、 嘲笑気味に言うが、彼ら 日本の書籍店ではいかに ハウツー本が
の恐怖感に追いたてられた生活にどっぷり入り込んでいる。
人生を快適に
(18/Aug/2000) 戻る