最初に住んだアパートはナビリオ(運河)の近くの下町だった。
古いミラノ(vecchio
milano)と呼ばれる地区でミラノで一番古い雰囲気が漂って
いる。100年前の白黒写真のとおり今でもその画廊や骨董品屋、古いレストラン
がそのままある。そのアパートは最上階のペントハウスでベランダが広いく、
夏はテラステーブルを置いて、オープンエアで食事ができた。
一階は昔ながらの八百屋、駄菓子屋、Barで、その辺りには日本人が全く住んで
おらず珍しがられたが、皆気さくで親切だった。私の妻は、八百屋に行く度、
そこのオヤジにイタリア語を教えてもらっていた。そのオヤジは日本は中国の
一部だと堅く信じており、おまけに海は見たことないだろうと言われた。
一般のイタリア人も日本に対する認識は似たり寄ったりで、中国人と混同して
しまう。例えばヨーロッパで演じられるオペラの「蝶々婦人」、目の釣りあがった
中国風メイクに、だらしなく着た左前の中国風キモノ、ベトナム風日傘、おまけに
蝶々婦人は香港風水上生活者として扱われていた。これは日本人が見ればひっくり
返るほどの国辱ものだ。オヤジが中国の一部と主張するのも無理もない。日本人も
少し前まで、外国人を見ればアメリカ人と指さしていたのと同じだろう。
イタリア語に取り入れられた日本語がいくつかある。
八百屋には柿が売っているが、カキと言う、もっとも表示はイタリア語でKは
元来ないので、cha-chiとなる。また大根はdai-conという。
イタリア人はこれらが日本語だとは誰も思っていない。
カラオケと言う言葉もイタリアだけでなくヨーロッパ全土に、完全に定着し、
アイルランドの山奥にもkaraokeレストランはあった。日本製品は数多く
入っており、オートバイなどは9割がホンダ、ヤマハ、カワサキ、でドカッティ
とかモトグッチなど地元勢は稀に見るくらい。日本製の自動車はフィアット
グループが政府に圧力をかけ、クオータ制(輸入割当制)になっており、
輸入を規制しているため数が少ない、そのため日本のベンツかBMWと同じ
くらいのステイタスカーになっている。電気製品でもSONY、HITACHI,VICTOR
などはよく売られている。なおイタリア人はHを発音しないのでHITACHIは
イタチとなり、ホンダのクルマはオンダと発音される。